封筒は立派だった。
重厚な和紙。
黒々とした筆文字で——
「金壱万也」。
ため息が出るほど整った字。
でも。
中身は、なかった。
一瞬、指が止まった。
もう一度、封を開け直す。
ない。
何度見ても、ない。
頭が真っ白になった。
葬儀後、親族から届いた香典。
送り主は父方の年長の親族。
いわゆる“本家筋”。
正直、疑う余地なんてない人だった。
家族に伝えると、即座に返ってきた。
「言わない方が大人」
「高齢なんだから」
「波風立てるな」
でも私はどうしても引っかかった。
金額ははっきり書いてある。
入れ忘れ?
それとも途中で抜かれた?
いずれにせよ、確認しなければ後で誤解になる。
私は覚悟を決めた。
電話をかけた。
「大変恐縮ですが……封筒の中身が確認できませんでした」
一瞬の沈黙。
そして強い声。
「そんなはずない!ちゃんと入れた!」
私は冷静に言った。
「複数人で確認しております」
電話は微妙な空気のまま終わった。
正直、胸がざわついた。
言うべきじゃなかったかもしれない、と。
——三日後。
従兄弟から連絡が来た。
「ちょっと聞きたいことあるんだけど……前にも似たことなかった?」
私は固まった。
「去年の伯父さんの葬儀、あの人の香典、入ってなかったらしい」
その時は、誰も言わなかった。
“高齢だから”
“角が立つから”
全員、黙った。
でも今回、私が電話したことで、確認し直す人が出た。
従兄弟は言った。
「うちも今見直した。……空だった」
さらにその日の夜、もう一件。
「確認したけど、やっぱり入ってない」
偶然ではなかった。
しかも今回が初めてではない。
過去の葬儀でも、同じことが起きていた。
親族LINEが騒然となった。
「前も?」
「ずっと?」
「誰も言わなかったの?」
私は封筒の写真を共有した。
筆跡は過去の写真と一致。
日付も一致。
毎回同じ書き方。
同じ金額表記。
体裁だけ完璧。
でも中身ゼロ。
ここで初めて、“入れ忘れ”の可能性は消えた。
親族会議が開かれた。
本人は最初、否定した。
「そんなはずない」
「記憶違いだ」
でも証拠は揃っていた。
複数件。
複数年。
同一人物。
空気が変わった。
私は静かに言った。
「お気持ちがないなら、袋もいりません」
誰も止めなかった。
さらに続けた。
「既に半返しをしております。返礼分はご返金をお願いします」
その瞬間、場が凍った。
“返金”。
それは体面を守る言葉ではない。
でも、必要な言葉だった。
最終的に——
・半返し分の返金
・正式な謝罪
・今後は現金書留で送ると明言
その場で深く頭を下げた。
あの電話で怒鳴っていた声は、もうなかった。
豪邸に住み、肩書きもある人。
でも信頼が崩れた瞬間、
何も残らなかった。
後で従兄弟が言った。
「言ってくれて助かった。ずっとモヤモヤしてた」
沈黙は体面を守る。
でも事実を守らない。
あの日、私は初めて“波風”を立てた。
でも守ったのは、自分たちの尊厳だった。
豪門でも、親族でも、
間違いは間違い。
そして、黙らない人が一人いれば、
空袋は止まる。
正直——
スッとした。