大阪旅行中、たまたま立ち寄った餃子フェスでの出来事だった。
人は多いし、音楽はうるさいし、席を確保するだけでも一苦労。ようやく空いたテーブルに座って、焼き立ての餃子をトレーごと置いた、その瞬間だった。
隣に座っていた幼い子どもが、突然こちらに身を乗り出した。
次の瞬間、餃子が宙を舞った。
タレごと、勢いよく。
全部、正面のテーブルへ。
「うわっ、何してんだ!!」
餃子とタレを全身に浴びた男性が立ち上がり、怒鳴り声を上げた。周囲の空気が一気に凍りつく。私は一瞬、何が起きたのか理解できず、ただ呆然としていた。
その直後、隣の女性が甲高い声を上げた。
「ちょっと!餃子ちゃんと見ててよ!危ないじゃない!」
……え?
思わず隣を見ると、さっき餃子を叩き落とした子どもを抱えたまま、彼女は完全に“被害者の顔”をしてこちらを睨んでいた。
「いや、今のは……お子さんが……」
そう言いかけた瞬間、正面の男性がさらに怒鳴った。
「言い訳してんじゃねえよ!どうしてくれんだよこの服!!」
周囲の視線が、一斉に私に突き刺さる。
誰も子どもを見ていない。誰も“原因”を見ようとしない。ただ“餃子を置いていた私”だけが、責められる立場に押し出されていく。
私は必死に説明した。
「今、こちらの子どもさんが手を伸ばして……私は触っていません」
でも、その声は完全にかき消された。
「は?子ども?知らないよそんなの!」
「大人なんだから責任取れよ!」
そして、隣の女性が追い打ちをかけるように言った。
「小さい子なんですよ?そんなの想定しない方がおかしくないですか?」
……ああ、これが“修羅場”なんだと思った。
事実よりも、声の大きさと勢いが正義になる瞬間。私は完全に悪者だった。謝罪もしていないのに、もう“謝る側”に決められていた。
そのときだった。
同じテーブルに座っていた大阪のおばちゃんが、ゆっくり口を開いた。
「ちょっと待ち」
一言なのに、不思議と空気が止まった。
「今、見てたで。餃子落としたん、その子や」
隣の女性が慌てて口を挟む。
「でも子どもですよ?!」
するとおばちゃんは、間髪入れずに続けた。
「せやからやん。子どもがやったんやったら、親が謝るんが筋やろ」
「いや、でも——」
「“でも”ちゃうわ。放っといたんは誰や?」
一気に畳みかけるような関西弁だった。言い逃げする隙を一切与えない。
周囲がざわつき始め、さっきまで私を睨んでいた視線が、少しずつ隣の女性へ移っていくのが分かった。
正面の男性も、戸惑ったように黙り込んだ。
数秒の沈黙のあと、隣の女性は渋々、小さく頭を下げた。
「……すみませんでした」
その瞬間、胸に溜まっていたものが、すっと抜けた。
私はようやく、深く息ができた。
事故は確かに不運だった。でも、本当の修羅場は、餃子が飛んだ瞬間じゃない。
責任を取るべき人が、平然と他人に押し付けようとした、その瞬間だった。
子どもがいることは免罪符じゃない。
守る立場にいるからこそ、引き受ける責任がある。
大阪のおばちゃんは何事もなかったように餃子を食べ続けていた。その背中を見ながら、私は思った。
大人って、声が大きい人のことじゃない。
責任から逃げない人のことだ。