「もう処理は終わっています。今回は違反にはなりませんから」
あの日、警察官ははっきりそう言った。だから私は、その言葉を疑わなかった。
あの日は病院だった。駐車場はとにかく狭く、普通車一台分の余裕すらない。それでも私は、どうしても車を停める必要があった。
私は医師で、急に体調を崩した患者を病院まで連れてきていた。その患者は歩行が困難で、車椅子が必要だった。トランクから車椅子を出すには、どうしても車体を少しだけ前に出すしかなかった。
ほんの数十センチ。通行を妨げるほどでもなく、長時間放置するつもりもない。何より、私はきちんと駐車禁止除外票をダッシュボードに掲示していた。
「すぐ戻ります」
そう自分に言い聞かせて、患者を車椅子に乗せ、診察室へ向かった。
診察は無事に終わった。患者の容体も落ち着き、私はほっとして駐車場へ戻った。
その瞬間、頭が真っ白になった。
フロントガラスに、黄色い紙が貼られていた。駐車禁止の取締票だった。
「え……?」
すぐに警察に連絡した。事情を説明すると、ほどなく警察官が来てくれた。
私は落ち着いて説明した。医師であること。患者のために車椅子を使う必要があったこと。除外票を提示していたこと。
警察官は除外票を確認し、少し困ったような顔をしたあと、こう言った。
「事情は分かりました。これは取り消します」
そして続けて、「身分証だけ確認させてください」と言われ、私は免許証を出した。
その場で特に書類を書かされることもなく、罰金の話もなく、警察官は「今回は大丈夫です」と言って帰っていった。
私は完全に、終わった話だと思っていた。
――三年後までは。
免許更新の案内が届いた日、私は何気なく中身を確認した。そこで目に入った一文に、思わず二度見した。
「次回の免許更新は、ブルー免許となります」
意味が分からなかった。この三年間、事故も違反も一切ない。スピード違反も、駐車違反も、心当たりはゼロだ。
不安になり、運転記録証明書を取り寄せた。そして、その紙を見た瞬間、背中が冷たくなった。
はっきりと書かれていた。
「駐車禁止違反 1点」
――残っていた。
取り消されたはずの違反が、何事もなかったかのように、正式な記録として残っていた。
すぐに警察署へ行った。三年前の出来事を説明し、「当時、取り消すと言われました」と伝えた。
しかし返ってきた言葉は、あまりにも冷たかった。
「記録上は違反になっています」「システムに取消処理が残っていません」
私は思わず声を荒げた。
「じゃあ、あの時の警察官は何だったんですか?」「私は嘘をつかれたってことですか?」
警察官は困ったように目を伏せ、こう言った。
「当時の会話内容は確認できません」「おそらく、その後に第三者からの通報が入った可能性があります」
――通報。
私が病院に入っている間、誰かが「違法駐車がある」と匿名で通報した。その通報が受理され、口頭での「取消」は、システムには一切反映されなかった。
善意も、事情も、現場判断も、すべて一件の通報に上書きされた。
私は医師として、患者を優先した。その結果、「違反者」というレッテルだけが残った。
納得できなかった。
私は感情論を捨てた。行政申立てを行い、書面で抗議した。
当日の診療記録。病院の入退館履歴。除外票の写し。時系列をすべて整理し、「なぜ違反に該当しないのか」を一つずつ説明した。
時間はかかった。何度もやり取りをした。正直、途中で心が折れそうにもなった。
それでも、私は引かなかった。
そして――正式な通知が届いた。
「当該違反記録は、取消とする」
免許の区分も、元に戻った。
勝った、と思った。
帰り際、私は担当者に静かに言った。
「お願いですから、 もう『口頭で大丈夫』なんて言わないでください」
「その一言を信じた人間が、 何年後にどれだけ苦しむか、 ちゃんと考えてほしい」
ルールは必要だ。通報も、制度も、意味がある。
でも、現場で人を助けた事実まで、なかったことにする仕組みなら、それは誰のための制度なのか。
私は今もそう思っている。