東姫路駅の近くで、突然パトカーに止められた。
理由は「歩行者妨害」。
最初、何を言われているのか分からなかった。
だって私は、横断歩道の前でちゃんと確認していた。
右も左も見た。
歩行者が渡ろうとしている様子なんて、なかった。
なのに警察官は、はっきり言った。
「今、歩行者がいましたよね」
私は思わず聞き返した。
「本当に渡ろうとしていましたか?」
返ってきたのは、冷たい一言だった。
「こちらは見ています」
その言い方で、胸の奥が一気に熱くなった。
その場で認めたら早いのは分かっていた。
でも、違うものを違うと言わないままサインするのは、どうしても納得できなかった。
私は深呼吸して、こう言った。
「この認定には同意できません。否認します」
警察官の表情が少し変わった。
面倒な人を見るような顔だった。
でも、私は引かなかった。
なぜなら、車にはドライブレコーダーが付いていたから。
家に帰ってすぐ、映像を確認した。
一時停止。
巻き戻し。
また一時停止。
問題の横断歩道のところを、何度も見返した。
画面の中の“歩行者”は、確かに歩道の端にいた。
でも、立ってスマホを見ているだけだった。
横断歩道に足を踏み出していない。
こちらを見る様子もない。
渡ろうとする動作すらない。
私は思わず声に出した。
「やっぱり、これで捕まえるのはおかしい」
しかも、映像をよく見るほど、別の問題も見えてきた。
その場所は、道の見通しが悪かった。
マンションの木が伸びていて、横断歩道の手前がかなり見えにくい。
信号もない。
標識も分かりやすいとは言えない。
歩行者にとっても、運転者にとっても、判断しづらい場所だった。
私はその日から、ただの“不服申し立て”では終わらせないと決めた。
ドライブレコーダーの映像。
現場写真。
昼と夕方の見え方。
歩道側から見た写真。
運転席の目線で撮った写真。
全部まとめた。
時間順に整理して、どこで何が見えたのか、どこから木で隠れるのか、ひとつずつ書き出した。
そして警察にも、検察にも、同じことを言った。
「私は歩行者を無視したのではありません」
「そもそも、渡ろうとしている歩行者はいませんでした」
「映像を確認してください」
最初は、まるで私が言い逃れしているような空気だった。
でも、映像を見せた瞬間、その空気は変わった。
画面の中の事実は、言葉より強かった。
“渡ろうとしていた”はずの人は、最後まで渡ろうとしていなかった。
そして、私の車が通過した後も、同じ場所でスマホを見ていた。
しばらくして、結果が出た。
誤認。
違反なし。
その知らせを聞いた瞬間、正直、胸のつかえが一気に取れた。
でも、そこで終わりにはしなかった。
私が助かったから、もういい。
そんな話ではなかった。
だってあの場所は、また誰かが誤解されるかもしれない。
もっと悪ければ、本当に事故が起きるかもしれない。
私は資料を持って、市の担当窓口へ行った。
さらに、視界を遮っていた木について、マンションの管理会社にも連絡した。
「ここは見えにくいです」
「歩行者にも運転者にも危ないです」
「信号か、もっと分かりやすい表示が必要だと思います」
そう伝えた。
最初は事務的な返事だった。
でも写真と映像を見せると、相手の声色が変わった。
「これは確かに確認が必要ですね」
その一言を聞いた時、ようやく思った。
私は、ただ一枚の違反切符から逃げたんじゃない。
おかしい場所を、おかしいと言ったんだ。
数日後、管理会社から連絡が来た。
伸びていた木について、剪定を検討するという。
市の方でも、現場確認を行うという話になった。
あの時、もし私が黙って認めていたら。
罰金を払って、点数を引かれて、悔しいまま終わっていた。
でも私は、行車記録を見直した。
証拠をそろえた。
最後まで否認した。
そして結果的に、問題は私の運転だけではなく、道路そのものにあったことまで見えてきた。
「警察に止められたら、仕方ない」
そう思う人もいると思う。
でも、本当に違うと思うなら、冷静に残すべきものを残した方がいい。
感情ではなく、記録。
怒鳴り声ではなく、映像。
言い訳ではなく、事実。
一枚の違反切符は、最後には路口整改の話に変わった。
あの時、私を止めた人たちは、ただの違反処理だと思っていたかもしれない。
でも私はもう決めていた。
自分のためだけじゃない。
次にそこを通る誰かのためにも、あの危ない場所をそのままにはしない。