元同僚の投稿を見た瞬間、私は思わずスマホを持つ手を止めた。
そこには、年金証書と決定通知書の写真が堂々と載っていた。
もちろん、制度を利用すること自体が悪いわけじゃない。
本当に必要な人に届くための大切なお金だ。
でも、その投稿に添えられていた一言が最悪だった。
「これから毎年お金もらえる。納税者さん、ありがとう」
最後には、笑っている絵文字まで付いていた。
コメント欄には、すぐに知り合いが書き込んだ。
「そういうことは、あまり軽く書かない方がいいよ」
すると彼は、まるで勝ち誇ったように返していた。
「羨ましいなら申請すれば?」
その瞬間、胸の奥がじわっと熱くなった。
怒りというより、呆れだった。
なぜなら私は知っていたからだ。
彼がその数日前、深夜まで飲み歩いている動画を上げていたこと。
翌日には大型バイクで遠出していたこと。
さらに別の日には、「引っ越しの手伝いで一日中荷物運んだ」と笑っていたこと。
それだけなら、まだ事情があるのかもしれないと思えた。
見た目だけでは分からない苦しさもある。
私が本当に引っかかったのは、そこではなかった。
以前、彼が飲み会でこう言っていたのを聞いていたからだ。
「書き方次第で通るんだよ」
「真面目に書くやつが損する」
「ちょっと盛ればいいだけ」
その時は、冗談かと思って流していた。
でも今回の投稿を見て、冗談では済まないと分かった。
同じ職場には、病気で何度も休職している年配の男性がいた。
本当に歩くのもつらそうで、書類をそろえるだけでも大変そうだった。
それでも彼は、誰にも迷惑をかけまいと頭を下げながら働いていた。
その人は、まだ申請が通っていなかった。
資料が足りない、診断書の内容が必要、次の予約まで待たないといけない。
そんな話を聞いたばかりだった。
一方で、目の前の元同僚は、制度を“勝ち取った戦利品”みたいに見せびらかしていた。
しかも納税者をからかうような言葉まで添えて。
私はコメント欄で言い返さなかった。
そこで怒れば、彼はきっとこう言う。
「冗談も分からないの?」
「妬み?」
「俺は正式に通ったんだけど?」
だから、私は黙ってスクリーンショットを撮った。
年金証書の投稿。
「納税者さんありがとう」の文章。
彼の返信。
過去の動画。
そして、以前のグループチャットで彼が書いていた言葉。
「申請は演出が大事」
「こう書けば重く見える」
「普通に働けるけど、そこは言い方」
ひとつずつ、日付順に並べた。
感情的な悪口は一切入れなかった。
ただ、事実だけをまとめた。
そして関係窓口に、匿名で情報提供した。
送信ボタンを押した時、少し手が震えた。
けれど後悔はなかった。
制度を必要としている人を守るためにも、笑いながら踏みつける人を放っておきたくなかった。
数日後、彼の投稿が消えた。
最初は偶然かと思った。
でも、あれほど毎日のように自慢していた彼が、突然何も言わなくなった。
さらに一週間後、共通の知人から聞いた。
「なんか、再確認の連絡が来たらしいよ」
彼は慌てていたらしい。
過去の投稿を消し、動画も非公開にし、チャットの発言まで取り消そうとしていた。
でも、遅かった。
一度ネットに出した言葉は、自分に都合よく消せるものじゃない。
さらに数日後。
彼は新しい投稿で、急に真面目な口調になっていた。
「軽率な発言をしてしまいました」
「制度を利用されている方に不快な思いをさせました」
「今後は発信に気をつけます」
コメント欄は、以前とはまるで違っていた。
「最初からそう言えばよかった」
「本当に必要な人まで誤解されるからやめてほしい」
「制度じゃなくて、あなたの態度が問題」
誰も彼を笑わなかった。
誰も彼を庇わなかった。
私はその画面を見て、静かにスマホを伏せた。
勝った、とは思わなかった。
ただ、少しだけ空気が正しい方向に戻った気がした。
国の制度は、困った人を助けるためにある。
誰かを見下すためでも、納税者を馬鹿にするためでもない。
彼が一番得意げに書いたあの一言。
「納税者さん、ありがとう」
皮肉なことに、それが彼を再調査へ向かわせる最初の証拠になった。
本当に怖いのは、誰かに見られることじゃない。
自分で出した言葉が、いつか自分の前に戻ってくることだ。