街を歩いていたある日のこと、ふと足元に何かが光った。目をやると、そこには120万日元が落ちていた。見間違いだろうか?いくらなんでも、こんな大金が道端に落ちるわけがない。周囲を見回すと、誰も気づいていない様子だった。私は一瞬立ち止まり、どうしようか考えた。もし誰かが急いで落としたのだとしたら、その人は今頃焦っているだろう。
迷う間もなく、私はそのお金を拾って交番に向かった。失物として届けるのが一番だと、誰もが思うことだ。私は何も悪いことをしていない、ただ正しい行動をしているだけだと信じて疑わなかった。
しかし、その後の展開は、私が想像していたものとは全く違った。
交番で警察にお金を渡すと、警察官は不思議そうな顔をした後、すぐに質問を始めた。「あなた、このお金がどこから来たのか知ってるのか?」
私はその質問に驚いたが、冷静に答えた。「いえ、私はただ拾っただけです。」
それだけで終わると思っていた。しかし、警察の質問は続いた。次々と繰り返される疑問に、私は次第に不安を感じ始めた。「確かに拾っただけですけど、なんでこんなに疑われるのか?」
警察官の目は鋭く、私の一挙一動を見逃さなかった。
一時間経った頃、私はとうとう耐えきれなくなり、思わず声を荒げてしまった。「どうして私がこんなに疑われるのか、全く理解できません!私はただ、落ちていたお金を交番に持ってきただけです!」
その言葉が、警察官の口を閉ざさせたかのようだった。私は自分の正当性を訴えたつもりだったが、心の中では次第に不安が膨らんでいった。「本当に私は何も悪くないのか?」と、心の中で繰り返し自問自答していた。もし、私は無意識のうちに何か間違えたことをしてしまったのだろうか?
数日後、警察から連絡が来た。驚くべきことに、そのお金は故意に落とされたもので、失主が私の反応を試していたことが分かった。失主は商売をしている人物で、わざとそのお金を道に落とし、拾った私がどうするかを見極めたのだ。
私はその道徳的試練に、意図せず合格していたことになる。
「それって、どういうことですか?」と私は言いたくなった。結局、私はそのお金を交番に持って行っただけなのに、失主の“試験”に合格してしまったなんて…。「私は試験を受けていたわけではないのに!」
失主は私に連絡を取り、感謝の意を示し、さらに5万日元を報酬として渡したいと言ってきた。正直、報酬を受け取る気持ちはほとんど湧かなかった。私はただ、拾ったお金を交番に持っていっただけで、それ以上でもそれ以下でもなかった。
それなのに、なぜ自分がこんなにも疑われ、試されるような結果になったのかが、心に引っかかっていた。
事件は解決し、私は無事に報酬を受け取ったものの、心に残ったのはあの1時間の疑いと、失主の“試験”を通過してしまったという複雑な感情だった。正しい行動をしたはずなのに、どうしてこんなにも不安を感じ、心の中で自問し続けなければならないのだろうか?
正義を貫いたつもりだったが、その過程で感じた不安や疑問は、今でも私の心に残っている。この経験を通して、私は少しだけ社会の冷たさと、正しいことをしても必ずしも簡単に認められるわけではないという現実を理解した。