「バカか💢」
指を突きつけられた瞬間、頭が真っ白になった。
でも口が先に動いた。
「バカじゃありません。警察呼びますか?それ、暴言です」
言った自分に一番びっくりしたのは、たぶん私。
心臓がドクドクうるさくて、喉がカラカラで、手のひらだけ妙に冷たい。
それでも、引かなかった。
うちの店には、スタンプカードがある。
一定額でスタンプがたまって、満タンになったら「次回500円引き」に使える。
あくまで“次回”。
今日の支払いで満タンになったとしても、その場でいきなり500円引きにはならない。
シンプルなルール。どこの店でもあるやつ。
なのに、その客は言った。
「今日、満タンになった。今引け」
私は笑顔のまま、丁寧に説明した。
「すみません、こちらは次回お会計からのご利用になります」
一回。
二回。
三回。
言い方も変えた。図も指差した。
それでも、通じない。
いや、通じないんじゃない。
“通じないフリ”をして、押し切ろうとしてる。
その空気が、どんどん濃くなっていった。
「お前、バカか💢」
その言葉で、私の中の何かが切れた。
怖い。もちろん怖い。
でも、ここで折れたら、次も同じことをやられる。
私だけじゃない。
次の担当、次の新人、次の誰かが、同じ目に遭う。
それが、もっと腹立たしかった。
客は、ふんっと鼻で笑って、スタンプ満タンのカードだけひったくるみたいに持ち上げた。
そして、商品を買わずに帰ろうとした。
え?
買わないの?
“500円になるカード”だけ持って?
一瞬、理解が追いつかなかった。
次の瞬間、背中がゾワッとした。
これ、完全に“白取り”じゃん。
ルールをねじ曲げるだけじゃなく、利益だけ掠めて帰る気だ。
心臓が跳ねた。
でも私は、声を出した。
いつもなら飲み込むところで。
「お客様、すみません。そちら、商品ご購入でお渡しするものです。戻ってください」
自分でも信じられないくらい、強い声だった。
客が振り返る。
目がギラついてる。
「うるさい💢」
来る。怒鳴られる。もっと揉める。
そう思ったのに、足は引かなかった。
私はレジの前から動かなかった。
逃げ道を作らなかった。
自分の中で、もう決めてた。
“今日は、引かない”。
結局、客はブツブツ言いながら戻ってきた。
私は淡々と説明を続けた。
「本日分として、満タンにするにはこの金額が必要です」
「それを満たした上で、次回500円引きです」
「本日どうしても500円をご利用されたい場合は、追加でお買い上げいただき、こちらで調整できます」
ほんとは、ここまでしてあげる必要ない。
でも私は、逆に“逃げ道”を見せた。
ルールの中でできることだけを出した。
感情で殴り返さない。
制度で、黙らせる。
客は渋々、満タンになる分だけ買った。
さらにもう一つ、追加で買わせた。
そして私は、そこで初めて500円引きを適用した。
「こちら、500円お値引きいたします」
レジの画面に出る「-500」。
それを見た瞬間、やっと息ができた。
勝ったとかじゃない。
“守った”。
私の仕事と、店のルールと、私自身の線引きを。
会計が終わって、私は新しいスタンプカードを作って差し出した。
すると客が吐き捨てた。
「要らない💢」
そして、投げた。
カードがカウンターに当たって、ペラッと落ちた。
その音が、やけに大きく聞こえた。
客が去ったあと、足が震えた。
指先が痺れて、レシートを掴む手が小刻みに揺れた。
心臓がまだ暴れてる。
怖かった。
ほんとに怖かった。
でも、私の中には、確かな感覚が残ってた。
私は、今日。
“言い返した”。
“止めた”。
“引き戻した”。
私、たぶんずっと、舐められやすい。
声が小さいし、強く言えないし、空気を壊すのが怖い。
でも。
今日だけは違った。
私は軟柿子じゃない。
押したら潰れる人間じゃない。
そう思えた。
手は震えてたけど、背筋は、ちゃんと立ってた。