その日の午後、私は父の葬儀の準備に追われていた。母親から頼まれたことを片付けるため、家中を忙しく歩き回っている最中、携帯電話が鳴った。見慣れた番号、住職からの電話だ。すぐに出ると、電話の向こうで住職の声が響いた。
「すみません、美嘉さん。突然お電話して申し訳ありません。実は、明日の葬儀ですが、私、体調不良でどうしても行けなくなってしまいました。」
驚きと戸惑いが入り混じった気持ちで耳を傾ける私。葬儀の日に住職が来られないとなると、どうするんだろうか?心の中でいくつもの不安が頭を巡った。
「代わりにお坊さんが伺います。そして、私の奥さんも一緒に行きますので、何卒よろしくお願いいたします」と、住職は続けた。安心感が少し湧いてきたが、それも束の間、住職の次の言葉でまたもや私は驚かされた。
「それと、お布施についてですが、実は今回、80万円でお願いしたいと思っているんです。戒名も含めて、すごく良い名前をつけさせていただきましたので…。」
一瞬、電話の向こうの声がぼやけて聞こえた。80万円?最初に伝えた50万円から、急に30万円も上がるとは。
突然の変更に私は、ただただ呆然とするばかりだった。
住職の奥さんが来ることや、代わりの僧侶が手配されたことには感謝している。しかし、この値上げについてはどうしても納得がいかない。そんな私の気持ちを察してか、住職は少しだけ間を空けて、静かな口調でこう続けた。
「申し訳ない気持ちもあるのですが、良い戒名をお渡しするためには、どうしても費用がかかります。美嘉さんもきっとお父様のことを大切に思っているから、きっと理解していただけると思います。」
その言葉に、私は深いため息をついた。確かに、戒名は重要だし、父にふさわしい名前をつけてもらいたいという気持ちもある。だが、この急な変更に、ただ感謝の気持ちだけで対応できる自信がなかった。
電話を切った後、私はリビングに座り込み、深く考え込んだ。父の葬儀という大切な場面で、こんなことを心配している自分が情けなく思えた。だが、家計には限りがあり、この80万円という金額が想像以上に大きな負担であることも事実だ。住職の言う通り、良い戒名をつけてもらうことが大切だが、同時に、この費用をどうしても納得できる形で支払わなければならない。
一人で悩んでいても答えは出ないと思い、母親に相談することにした。母親は一度も私を頼ってこないような強い人だったが、こういった問題には敏感だった。私は電話をかけ、住職からの話をそのまま伝えた。
「80万円もかかるって…。本当に大丈夫なのかしら?」母親の声は、少し驚きと困惑が入り混じっていた。
「私も同じ気持ちだよ。でも、住職が代わりの方を手配してくれたことには感謝しないと。どうしても断れないから、支払うしかないわ。」
母親はそう言いながらも、どこか無理をしているような声だった。
私もその気持ちを理解していたが、どうすることもできなかった。
その後、夜になり、父の遺体を自宅に運んだ。家族が集まり、父の遺影を前にして静かに過ごす時間。葬儀の準備が進む中で、心は落ち着くどころかますます不安でいっぱいだった。私たちは、お布施の金額に対する不安を抱えつつも、しっかりと父を見送る準備を進めていった。
そして、葬儀当日。お坊さんが到着すると、意外にも穏やかな雰囲気が漂っていた。代わりの僧侶が来てくれたことに、少しほっとする自分がいた。奥さんも一緒に到着し、手際よく儀式が始まった。
戒名を授けられた父は、思った以上に立派な名前をもらっていた。その瞬間、私の中で一つ、気持ちが落ち着いた。父にふさわしい名前が与えられたことで、少しだけ心の重荷が軽くなったように感じた。
お坊さんの穏やかな声が響き、周りの空気も静かで厳かだった。私たちは、父を見送るために最善を尽くしたと信じていた。金額のことは確かに心に残ったが、それでも大切な儀式を滞りなく終えることができたという事実が、今は少しだけ心を楽にしてくれる。
葬儀が終わり、家族で遺骨を持ち帰る途中、母親がぽつりと言った。
「お金のことは大変だったけど、お父さんにふさわしい戒名がつけてもらえて、少し安心したわ。」
その言葉に、私は深くうなずきながらも、心の中で一つの覚悟を決めた。お金の問題は解決できても、私たちがしっかりと向き合ってやらなければならないことがまだたくさんあることに気づいたからだ。