昨日、40万円の夏期合宿費をめぐって、弟と初めて本気で大喧嘩した。
「医者になりたいなら、こんな合宿くらい行かなきゃダメなんだよ」
弟はそう言った。
けれど私は、その金額を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。
四十万円。
たった四文字なのに、私の生活を丸ごと押し潰すには十分すぎる金額だった。
両親が亡くなってから、私は弟を一人で育ててきた。
実家はもうない。
親の遺産なんてものもない。
あるのは、狭い部屋と、毎月ギリギリで回している生活費と、弟の学費の請求書だけ。
私は朝から晩まで働いた。
自分の服なんて何年も買っていない。
外食もしない。
冷蔵庫の中身を見ながら、何日も同じ食材で食いつなぐこともあった。
それでも、弟にはできるだけ普通の生活をさせたかった。
参考書が必要だと言われれば買った。
模試代が必要だと言われれば出した。
塾の費用も、交通費も、受験料も、全部どうにかしてきた。
でも、四十万円はさすがに重かった。
「今すぐは無理だ」
私がそう言うと、弟の顔が一瞬で曇った。
「じゃあ、もういい」
その声が、妙に大人びていて、余計に胸に刺さった。
「そうやって簡単に諦めるな」
私が言うと、弟は初めて声を荒げた。
「兄ちゃんだって、俺のこと重いって思ってるんだろ!」
その一言で、私の中の何かが切れた。
「そんなこと言うな!」
怒鳴った瞬間、弟は黙った。
でも私も、それ以上何も言えなかった。
気まずい沈黙だけが部屋に残った。
翌日、私はいつも通り仕事に行った。
体は動いているのに、頭の中ではずっと昨日の言葉が回っていた。
本当は分かっていた。
弟はわがままで言ったわけじゃない。
医学部を目指して、本気で努力している。
毎朝早く起きて、夜遅くまで勉強している。
遊びたい年頃なのに、友達の誘いも断って机に向かっている。
そんな弟に、私は「金がない」という現実だけを突きつけてしまった。
仕事を終えて、重い足取りで家に帰った。
弟とはまだ顔を合わせづらい。
そう思いながら冷蔵庫を開けた瞬間、私は動けなくなった。
そこに入っていたのは、100円のプリンだった。
コンビニで売っている、ごく普通の安いプリン。
その横に、小さな紙切れが置いてあった。
震える字で、こう書かれていた。
「昨日は勝手なこと言ってごめんなさい。
夏期合宿のお金、不安じゃないって言ったら嘘になるけど、
お兄ちゃんのことも信じて勉強する。
だから頑張る。
絶対に恩返しするから。
プリン食べてね。」
読み終えた瞬間、涙が落ちた。
恥ずかしいくらい、声を出して泣いた。
なんでだよ。
こんな狭い部屋に住ませているのに。
両親もいなくて、欲しいものも我慢させてばかりなのに。
なんでお前は、そんなに真っ直ぐ育つんだよ。
私はプリンを手に取った。
記事はまだ終了していません。次のページをクリックしてください