「レジは間違えません」
大型家具店のレジでそう言われた瞬間、私は笑顔のままスマホを取り出した。
その日、私は前から気になっていた在庫限定の商品を見つけた。
赤い値札には、大きく「4,796円」と書かれていた。
元の価格は9,592円。
半額近くになっていて、これはちょうどいいと思った。
念のため、商品名もサイズも確認した。
棚に並んでいる商品と値札の位置も合っている。
私はその商品を持って、レジへ向かった。
ところが、会計画面に出た金額を見て、思わず目を疑った。
「9,592円」
さっき見た値札の倍だった。
私は一呼吸おいて、できるだけ穏やかに言った。
「すみません、売り場では4,796円と表示されていたと思うのですが、確認していただけますか?」
すると店員さんは、画面をちらっと見ただけで言った。
「レジは間違えません」
その言い方に、胸の奥で小さくカチンと音がした。
別に安くしろと騒いでいるわけではない。
私はただ、売り場表示とレジ価格が違うと言っているだけだった。
それなのに、最初からこちらが勘違いしている前提で返された。
でも、ここで声を荒げたら負けだと思った。
感情的になれば、すぐに“面倒な客”にされる。
だから私は、静かに言った。
「分かりました。では、念のため記録させていただきますね」
私はスマホで、レジ画面の金額を撮った。
そして商品バーコードも撮った。
そのまま店員さんに言った。
「売り場の値札も一緒に確認していただけますか?」
店員さんの表情が、少しだけ変わった。
さっきまでの強気な雰囲気が消えていた。
売り場に戻ると、やはり赤い値札はそこにあった。
「4,796円」
商品も同じ。
バーコードも一致している。
私はその場で、値札と商品を並べて写真に残した。
すると店員さんは、慌てたように言った。
「もしかすると、別の商品が置かれていたのかもしれません」
私は棚を見た。
同じ商品が、同じ場所に何個も並んでいる。
どう見ても、誰かが一つだけ置き間違えたような状態ではなかった。
私は淡々と言った。
「では、この棚全体が間違っているということですね。責任者の方に確認していただけますか?」
その一言で、空気が変わった。
しばらくして、店長さんが来た。
私は感情を入れず、写真を順番に見せた。
売り場の値札。
商品バーコード。
レジ画面の9,592円。
そして、店員さんに言われた言葉もそのまま伝えた。
「レジは間違えません、と言われました」
店長さんは写真を見たあと、棚を確認し、すぐに表情を引き締めた。
「申し訳ございません。売り場の価格表示の管理に不備がありました」
やっと、話が通じた。
私はその場で怒ることもできた。
でも、私が求めていたのは怒鳴ることではなかった。
私は店長さんに言った。
「今回の金額だけの問題ではありません」
「表示と実際の価格が違うこと」
「それを確認せずに、レジは間違えないと言い切られたこと」
「同じことが他のお客さんにも起きる可能性があること」
この三つが気になります、と伝えた。
店長さんはすぐに値札を外し、スタッフに棚全体の確認を指示した。
そして、私に深く頭を下げた。
「大変失礼いたしました」
でも、私はその場で買う気にはなれなかった。
金額よりも、最初の対応で気持ちが冷めてしまったからだ。
私は購入を見送り、帰宅した。
そしてその日のうちに、本部のお客様窓口へメールを送った。
書いたのは、感情ではなく事実だけ。
日時。
店舗名。
商品名。
バーコード。
売り場価格4,796円。
レジ価格9,592円。
店員さんの発言。
店長さんの対応。
添付した写真は、全部で数枚。
最後にこう書いた。
「客が間違いを指摘した際、確認より先に否定される対応は不安です。価格表示の管理と接客対応について、確認をお願いします」
翌日、本部から返信が来た。
そこには、価格表示管理の不備を認める内容が書かれていた。
さらに、該当店舗で棚全体の点検を行うこと。
スタッフへの再教育をすること。
同様の価格差が起きた場合の対応を見直すこと。
そして、お詫びとしてクーポンを発行すること。
数日後、その店舗へ行くと、同じ棚の価格表示はきちんと直されていた。
さらに、あの時の店員さんが私に気づき、小さく頭を下げた。
「先日は確認不足で失礼いたしました」
その瞬間、胸の中にあったモヤモヤがすっと消えた。
私は別に、店員さんを追い詰めたかったわけではない。
ただ、間違いを指摘した客を、最初から疑うような対応をされたくなかっただけだ。
レジは間違えないのかもしれない。
でも、人が管理する値札は間違える。
そして、その間違いを客に払わせてはいけない。
怒鳴らなくてもいい。
強い言葉を使わなくてもいい。
写真を撮る。
事実を並べる。
責任者に確認する。
本部に正式に伝える。
それだけで、流れはちゃんと変わる。
あの日、私が買わなかった商品より大きかったのは、最後に残ったこの感覚だった。
冷静でいる人間が、一番強い。