「一杯くらい大丈夫でしょ?」
そう言われた時点で、私は嫌な予感がしていた。
会社の飲み会だった。
私は最初から言っていた。
「すみません、私、お酒を飲むと体に赤い斑点が出るので飲めません」
でも、同僚は笑った。
「またまた、そういう子いるよね」
「女の子ってすぐ“飲めない”って言うよね」
「半分だけなら平気でしょ」
場の空気が、一気に私を逃がさない方向へ流れていった。
上司まで笑いながら言った。
「せっかくの飲み会なんだから、少しぐらい付き合いなよ」
その瞬間、私は分かった。
この人たちは、私の体調より“場のノリ”を優先している。
私は何度も断った。
でも目の前には、赤ワインのグラスが置かれた。
「乾杯だけ」
「口をつけるだけ」
「大げさだなあ」
その言葉に押されて、私は半分だけ飲んだ。
本当に、それだけだった。
けれど十分だった。
十分すぎた。
十分後くらいから、足が熱くなった。
太ももの内側がじわじわ痒くなり、次に腕が赤くなった。
トイレで確認すると、肌には大きな赤い斑点が広がっていた。
まるで火であぶられたみたいに、皮膚が熱い。
息が浅くなるほど不安だった。
席に戻ると、同僚が私の腕を見て笑った。
「え、何それ。ほんとに出るんだ」
「でもちょっと大げさじゃない?」
「まさか、わざと掻いた?」
その一言で、私の中の何かが冷えた。
体は熱いのに、心だけが一気に冷たくなった。
私はその場では怒らなかった。
説明もしなかった。
スマホで自分の足と腕の写真を撮り、時間も残した。
その日は水だけ飲んで、早めに帰った。
翌朝、赤みはまだ少し残っていた。
私はそのまま皮膚科へ行った。
医師に写真を見せ、飲酒後に毎回こうなることを話した。
医師は真面目な顔で言った。
「同じ反応が何度も出るなら、飲酒は避けた方がいいです」
「じんましんのような症状が広がる場合もありますし、無理に飲む必要はありません」
私は診断内容を紙に残してもらった。
薬も出された。
そしてその紙を見た時、ようやく少しだけ安心した。
私は嘘をついていなかった。
大げさでもなかった。
ただ、自分の体を守ろうとしていただけだった。
一週間後、また部署の食事会があった。
正直、行きたくなかった。
でも逃げたら、また「ノリが悪い」で終わらされる気がした。
だから私は、診断書のコピーと写真をバッグに入れて行った。
案の定、あの同僚がグラスを持って近づいてきた。
「今日は飲めるよね?」
「この前も結局、半分飲めたじゃん」
周りがクスクス笑った。
私はゆっくりバッグから紙を出した。
そして、テーブルの上に置いた。
「これ、病院で確認してもらいました」
空気が止まった。
同僚の笑顔が固まった。
私は続けた。
「医師から、飲酒は避けるように言われています」
「前回の写真もあります」
スマホを開き、赤く腫れた足と腕の写真を見せた。
さっきまで笑っていた人たちが、一斉に黙った。
上司が紙を見て、顔色を変えた。
「これは……無理に飲ませたらまずいな」
私は上司を見て言った。
「前回、私は最初から飲めないと伝えました」
「でも“場を壊すな”と言われました」
「私の体は、飲み会の空気を読むためにあるわけじゃありません」
誰も何も言えなかった。
一番しつこく勧めてきた同僚は、目をそらした。
しばらくして、上司がはっきり言った。
「今後、この部署では飲めない人に酒を勧めるのは禁止にする」
「本人が断ったら、それ以上は言わない」
その言葉で、ようやく私は息ができた気がした。
その日の私の前に置かれたのは、ワインではなく烏龍茶だった。
しばらくして、あの同僚がぎこちなく近づいてきた。
手には果汁ジュースを持っていた。
「この前はごめん。そんなに本当に出ると思ってなくて」
私は少しだけ笑った。
「本当だと思わないなら、最初から人に飲ませない方がいいよ」
同僚は何も言い返せなかった。
私はそのジュースを受け取った。
勝った、と思った。
怒鳴って勝ったわけじゃない。
泣いて訴えたわけでもない。
証拠を出して、黙らせただけだった。
お酒が飲めないことは、恥ずかしいことじゃない。
体が拒否しているものを断るのは、わがままじゃない。
あの日、全員が黙ったテーブルで、私はやっと自分の体の味方になれた。
そして最後に、心の中でこう思った。
面子のために飲む酒より、自分を守る一杯の水の方が、ずっと大事だ。