「警察には、お前が運転したことにしてくれ」
上司からの電話は、その一言から始まった。
私は一瞬、何を言われているのか分からなかった。
「……どういう意味ですか?」
そう聞き返すと、上司は面倒くさそうにため息をついた。
「だから、社用車だよ。プリウス。ちょっと河原で滑って、水に入っただけだ」
“ちょっと”で済む話ではなかった。
送られてきた写真には、黒いプリウスが半分ほど水に沈んでいた。
前輪は完全に水の中。
後輪だけが岸に残り、まるで車が自分から川へ入っていったような状態だった。
私はスマホ画面を見たまま、背筋が冷たくなった。
その車は会社の営業車だった。
ただし、その日その車を使っていたのは私ではない。
朝礼のあと、上司が自分で鍵を持っていった。
「得意先に顔を出してくる。午後には戻る」
そう言って、黒いプリウスで出ていったのを私は見ている。
それなのに、電話口の上司は平然と言った。
「お前、若いんだからさ。一回くらい運転ミスしたことにしても大丈夫だろ」
私は言葉を失った。
「会社としても、部長が事故ったってなると面倒なんだよ」
「お前ならまだ“新人の操作ミス”で通る」
「悪いようにはしないから」
軽い口調だった。
まるで昼休みに弁当を買ってきてくれと言うくらいの軽さだった。
でも、言っている内容は完全におかしかった。
私は深呼吸した。
怒鳴り返したい気持ちはあった。
けれど、ここで感情的になったら負けだと思った。
「すみません、状況が分からないので、もう一度説明してもらえますか?」
私はそう言いながら、通話の録音ボタンを押した。
上司は気づかずに話し続けた。
「だから、お前が運転していて、河原の駐車スペースで操作を誤ったことにする」
「警察にも保険会社にも、それで言えばいい」
「会社のためだ。分かるだろ?」
分かるわけがなかった。
会社のためではない。
上司が自分のミスを隠すためだ。
私は電話を切ったあと、すぐに動いた。
まず、社用車の利用記録を確認した。
その日のプリウスの使用者欄には、上司の名前が入っていた。
次に、社内チャットを開いた。
朝、上司が私に送ってきたメッセージが残っていた。
「今日は俺がプリウス使う。鍵は持っていく」
これだけでも十分だった。
さらに、上司のスケジュールを確認した。
午前十一時、河川沿いの取引先と現地打ち合わせ。
場所も一致している。
そして決定的だったのは、取引先の担当者から送られてきた写真だった。
「先ほどの現場写真です」と共有された画像。
そこには、川の近くに停まった黒いプリウスと、その横に立つ上司の姿がはっきり写っていた。
しかも、運転席側のドアが開いている。
私はそれらを全部保存した。
スクリーンショットを取り、ファイル名に日付を入れ、録音も別の場所にコピーした。
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