《グリーン車はあなたのリビングではない。私は黙って車掌を呼びに行った》
新幹線のグリーン車で、まさかこんな光景を見るとは思わなかった。
通路を歩いて自分の席に向かった瞬間、視界に入ったのは、前の座席の背もたれに靴を乗せたまま、堂々と大声で電話をしている男性だった。
しかも、ただ足を伸ばしているだけではない。
座席は限界近くまで倒され、靴の底は前の座席の端に引っかかるように乗っていた。
電話の声は、イヤホン越しでも聞こえるほど大きかった。
「だからさ、今新幹線なんだって」
「いや、全然大丈夫。話せる話せる」
そう言いながら、彼は周囲を気にする様子もなく笑っていた。
ここは自由席でも、駅前のベンチでもない。
グリーン車だ。
多くの人が、少しでも静かに移動したいから、少しでも体を休めたいから、普通車より高い料金を払って座っている。
それなのに、その男性だけが、まるで自分の家のリビングにいるような態度だった。
私の前方に座っていた年配の女性は、何度も顔をしかめていた。
その男性のすぐ後ろに座っていた乗客は、倒された背もたれに圧迫され、膝の位置を何度も変えていた。
それでも、誰も何も言わなかった。
言えば面倒になる。
逆ギレされたら嫌だ。
旅先や出張先へ向かう途中で、余計なトラブルに巻き込まれたくない。
その空気が、車内全体に漂っていた。
私も最初は、見て見ぬふりをしようと思った。
たった数時間のことだ。
我慢すれば済む。
そう自分に言い聞かせようとした。
でも、次の瞬間、その男性がさらに深く座席を倒し、靴の位置をずらして、前の座席の布地に靴底を押しつけたのを見て、さすがに限界だった。
これはもう、マナーの問題ではない。
周囲に迷惑をかけていると分かっていながら、自分だけが楽をしている。
しかも、後ろの乗客は明らかに困っているのに、声を上げられずにいる。
私はその場で怒鳴らなかった。
直接注意して、相手と口論になるのが一番面倒だと思ったからだ。
代わりに、顔が写らないよう注意しながら、座席の倒れ具合と、靴が前の座席に乗っている状況だけをスマホで記録した。
それから静かに席を立ち、車両の連結部分へ向かった。
しばらく待っていると、車掌が通りかかった。
私は大げさには言わなかった。
ただ、スマホの画面を見せながら一言だけ伝えた。
「後ろの乗客の方がかなり困っているようです。確認していただけますか」
車掌はすぐに表情を引き締めた。
「分かりました。確認いたします」
そう言って、私と一緒に車内へ戻った。
男性はまだ電話をしていた。
周囲の乗客が一斉に視線を向ける中、車掌は男性の横に立ち、落ち着いた声で言った。
「お客様、車内での通話はデッキでお願いいたします。また、座席に足を乗せる行為はお控えください」
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