最初にその光景を見た時、私は本気で目を疑った。
駐車場の向こう側。
ブロック塀の上に、軽自動車が半分乗り上げていた。
前輪はほとんど浮いていて、下には警察車両と歩行者が通るスペース。
少しでもバランスを崩したら、そのまま落ちてもおかしくない状態だった。
周りの人たちも、みんな同じ顔をしていた。
「どうやったら、あそこに乗るの?」
そう言いたくなるような状況だった。
私はすぐにスマホを出した。
野次馬で撮りたかったわけじゃない。
危険な状態だし、あとで物业や警察に説明するためにも、現場の写真は必要だと思ったから。
ところが、シャッターを切った瞬間。
車の持ち主らしき男性が、すごい勢いでこちらに来た。
「おい!何撮ってんだよ!」
いきなり怒鳴られて、周りの空気が止まった。
私は冷静に言った。
「危ない状態なので、記録しています」
すると男性はさらに声を荒げた。
「プライバシーの侵害だろ!今すぐ消せ!」
私は思わず、その車を見上げた。
プライバシー。
いや、今そこにあるのは、プライバシーより先に危険では?
車は塀の上に乗っている。
下には人がいる。
ブロックには荷重がかかっている。
それなのに本人は、車の心配より写真を消すことに必死だった。
私は一歩だけ下がった。
そして、スマホを写真モードから動画モードに切り替えた。
男性がそれに気づいて、さらに顔を赤くした。
「録るなって言ってんだろ!」
私は言った。
「では、触らないでください。危ないので」
男性は舌打ちして、車の方を指差した。
「ただちょっと停めただけだろ!」
その言葉を聞いた瞬間、私は思わず聞き返した。
「ちょっと停めて、壁の上ですか?」
周りの人が小さくざわついた。
すると、男性は私をにらみつけた。
「お前には関係ない」
関係ない。
その言葉で、私の中のスイッチが入った。
関係ある。
もし車が落ちたら、下にいる人に当たるかもしれない。
塀が崩れたら、駐車場全体に被害が出るかもしれない。
誰かの車が巻き込まれるかもしれない。
そんな状況で「関係ない」は通らない。
その時だった。
塀の下を見ていた人が、急に声を上げた。
「ちょっと待って、ここ割れてない?」
全員の視線が、ブロック塀に集まった。
見ると、車の重みがかかっているあたりの目地に、細い亀裂が入っていた。
さっきまで強気だった男性の表情が、一瞬で変わった。
私はすぐに、その亀裂も動画で記録した。
男性は慌てて言った。
「いや、これは前からだろ」
でも誰も信じていなかった。
むしろ、さっきまで黙って見ていた人たちまで口を開き始めた。
「いや、普通に危ないでしょ」
「動かしたら落ちるんじゃない?」
「警察呼んだ方がいいよ」
私はすでに通報していた。
数分後、警察が到着した。
警察官も車を見上げた瞬間、少しだけ固まっていた。
無理もない。
事故現場というより、なぜそうなったのか説明が難しすぎる光景だった。
男性は警察官に向かって、さっきとは違う声で言った。
「ちょっと操作を誤っただけです」
私は何も言わなかった。
ただ、撮っていた写真と動画を見せた。
車の位置。
塀の状態。
男性が「消せ」と迫ってきた場面。
亀裂が見つかった瞬間。
全部、順番に残っていた。
警察官が動画を確認すると、男性は急に静かになった。
さっきまで「プライバシー」と怒鳴っていた人が、今度は目をそらしている。
その後、吊り上げ作業が必要になった。
無理に車を動かすと、塀ごと崩れる可能性があると言われたからだ。
物业の人も呼ばれた。
修理業者の確認も入った。
結局、男性は塀の修理費、レッカー費用、現場対応の費用について説明を受けることになった。
最初に彼は、私に写真を消させようとした。
でも最後に、その写真と動画が責任の所在をはっきりさせる証拠になった。
あの時、私が黙って消していたら。
彼はきっと「大したことない」で済ませようとしたと思う。
でも、危険な現場で一番大事なのは、怒鳴る声じゃない。
残された記録だ。
壁の上に車を乗せておいて、「撮るな」と怒鳴る。
その理屈が通るほど、現実は甘くない。
彼が本当に消したかったのは、写真ではなく、自分の責任だったのだと思う。