期末テストの答案が返ってきた日、私が最初に見たのは点数ではありませんでした。
赤ペンで書かれた、先生からの一言でした。
「マスク外してもかわいいし、数少ない子のひとりでした(笑)」
一瞬、意味が分かりませんでした。
数学の間違いを指摘されたのかと思って、もう一度見ました。
でも、そこに書かれていたのは、解答へのコメントでも、勉強への助言でもありませんでした。
私の顔についての言葉でした。
しかも、正式な期末テストの答案用紙に。
教室では、みんなが返された答案を見て騒いでいました。
「やばい、赤点かも」
「ここ惜しかった」
そんな声が飛び交う中で、私だけが席に座ったまま固まっていました。
手の中の紙が、急に気持ち悪いものに見えました。
私の点数はそこまで悪くありませんでした。
でも、点数なんてどうでもよくなるくらい、その赤字が目に刺さりました。
隣の子が何気なく覗き込みました。
そして、すぐに小さく笑いました。
「え、先生にかわいいって書かれてるじゃん」
その一言で、後ろの席の子たちまで振り向きました。
私は慌てて答案を伏せました。
でも、もう遅かった。
数人がニヤニヤしながらこちらを見ていました。
私は何も悪いことをしていないのに、なぜか自分が恥ずかしいことをされたような気持ちになりました。
授業後、先生はいつも通り笑っていました。
私が答案を持って近づくと、先生は軽い調子で言いました。
「ああ、それ?別に深い意味ないよ。褒めただけだから」
その瞬間、胸の奥が冷たくなりました。
褒めた?
これが?
私は、テストを受けただけです。
答案を提出しただけです。
顔を評価してほしいなんて、一度も頼んでいません。
私はその場で泣きませんでした。
怒鳴りもしませんでした。
先生の前で感情的になったら、きっと「大げさだ」と言われる。
そう思ったからです。
だから私は、静かに答案を持って席に戻りました。
そして、机の下でスマホを開き、赤字の部分を写真に残しました。
全体が分かるように一枚。
赤字がはっきり見えるように一枚。
返却された日時もメモしました。
放課後、友達に誘われても、私はそのまま教室を出ませんでした。
答案をクリアファイルに入れ、まっすぐ教務室へ向かいました。
手は少し震えていました。
でも、足は止まりませんでした。
教務主任の先生に声をかけました。
「この答案のコメントについて、確認していただきたいです」
主任は最初、普通の質問だと思ったようでした。
けれど、私が答案を机の上に置いた瞬間、表情が変わりました。
赤字を読んだ主任は、しばらく黙っていました。
そして、低い声で言いました。
「これは、教科の指導とは関係ありませんね」
私はそこで初めて、少し息ができました。
その後、先生本人が呼ばれました。
彼は最初、いつもの笑顔で入ってきました。
「いや、そんな大したことじゃないですよ」
「生徒を励ますつもりで」
「最近マスクのこともあったので、軽い雑談のつもりで」
言い訳は、いくらでも出てきました。
でも、主任は答案を指で押さえて、はっきり言いました。
「期末テストの答案用紙は、生徒の外見を評価する場所ですか?」
先生の笑顔が止まりました。
主任は続けました。
「同じことを、全員の答案に書けますか」
先生は黙りました。
「保護者の前でも、これは適切な指導だと言えますか」
今度こそ、先生は何も言えませんでした。
私はその場で、初めて顔を上げました。
さっきまで「褒めただけ」と言っていた人が、何も返せなくなっている。
それだけで、少しだけ胸の中の重さが消えました。
翌日、私たちのクラスには別の先生が来ました。
答案の見直しと採点確認は、別の先生が担当することになったと説明されました。
そしてホームルームの最後、あの先生が教室に入りました。
いつもの軽い調子ではありませんでした。
黒板の前に立ち、深く頭を下げました。
「答案用紙に、教科指導と関係のない不適切なコメントを書きました。傷つけてしまい、申し訳ありませんでした」
教室は静まり返っていました。
昨日までニヤニヤしていた子たちも、誰一人笑っていませんでした。
私は何も言いませんでした。
ただ、机の中にしまっていた答案を見ました。
あの赤字は、今も消えていません。
でも、もう恥ずかしいとは思いませんでした。
恥ずかしいのは、私ではなかったからです。
答案は、点数をつけるものです。
間違いを直すものです。
生徒の外見を勝手に評価する場所ではありません。
あの日、私は泣き寝入りしませんでした。
答案を破らずに残したこと。
写真を撮ったこと。
そして、正しい場所に持っていったこと。
それが、私にできる一番静かな反撃でした。