私がその車に気づいたのは、都内の大型ショッピングモールの地下駐車場だった。
最初はただの古いセダンにしか見えなかった。
でも、近づいた瞬間、思わず足が止まった。
車は全身が灰だらけ。
フロントガラスもボンネットも、まるで長い間放置されているような状態だった。
しかもその灰の上には、誰かが指で書いた落書きがびっしり残っている。
「いつから?」
「まだあるw」
「伝説の車」
どう見ても、かなり長く動いていない車だった。
「これ…どれくらい置いてあるんだ?」
思わず近くにいた警備員に聞いた。
すると警備員は苦笑して言った。
「その車ですか?あれ、もう数ヶ月ここにありますよ」
「数ヶ月!?」
私は思わず声を上げた。
「持ち主は?」
すると警備員は、少し困った顔をして言った。
「実は…持ち主は来てるんですよ」
「え?」
私は一瞬意味が分からなかった。
普通、持ち主が来ているなら車はとっくに出ているはずだ。
しかし警備員は続けた。
「問題は、駐車料金なんです。」
話を聞くと、こういうことだった。
その車の持ち主は、ある日の夕方にこの駐車場に車を停めた。
買い物をして、数時間後に戻り、出口の精算機へ行った。
ところがそこで表示された料金を見て、固まった。
表示されていた駐車時間は――
「7日間」
つまり、1週間駐車していたことになっていた。
もちろんそんなはずはない。
男性は慌てて管理事務所に行った。
「今日停めたばかりなんですけど!」
しかし管理会社のスタッフはモニターを見て、淡々と言った。
「システム上は1週間前の入庫になっています」
「いやいや、今日ですよ!」
男性は当然納得できない。
しかし管理側はこう言った。
「申し訳ありませんが、表示された料金をお支払いいただかないと出庫できません」
表示された料金は――
約8万円。
男性は思わず声を上げた。
「8万!?今日停めただけだぞ!」
事情を説明しても、管理側の答えは変わらない。
「記録上は1週間です」
どうやら原因は、1週間前の精算記録のエラーだったらしい。
その男性は実は一週間前にもこの駐車場を使っていた。
そのとき出口ゲートの読み取りがうまくいかず、入庫記録だけが残ってしまっていた。
つまりシステム上では、
「1週間前に入って、ずっと出ていない車」
になってしまっていたのだ。
男性は怒った。
「それはそっちのミスだろ!」
しかし管理会社は冷静だった。
「こちらでは判断できません。料金はシステム通りです」
「ふざけんなよ!」
男性は当然納得しない。
「じゃあ今日は払わない」
管理会社も淡々と答えた。
「お支払いがない場合、出庫はできません」
完全に平行線だった。
結局その日は、話がまとまらなかった。
そして男性はこう言い残して帰ったらしい。
「こんな料金払うくらいなら、車ここに置いとくわ。」
それ以来――
その車は動いていない。
最初は数日。
それが数週間。
そして数ヶ月。
私は思わず警備員に聞いた。
「じゃあ今、料金って…」
警備員は苦笑して言った。
「もう30万円超えてますね」
私は思わず車を見直した。
ボンネットの灰の上には、誰かが大きく書いていた。
「いくら?」
その下に別の人が書いている。
「もう新車買える」
さらに別の落書き。
「伝説」
私は思わず笑ってしまった。
警備員は肩をすくめて言った。
「持ち主、何回か来てるんですけどね」
「交渉ですか?」
「ええ。でも管理会社はずっと同じです」
「まず料金を払ってください」
持ち主も同じことを言う。
「今日は停めてない」
話はずっと平行線。
その結果――
車はここに残ったままだ。
私はその場を離れながら、もう一度振り返った。
灰だらけのセダン。
落書きだらけのボンネット。
そして、その横を通る人たちが写真を撮っている。
その車は今や、
ただの放置車ではない。
駐車場トラブルの“伝説の証拠”になっていた。