休日の午後、私は近所の小さな商店街を歩いていた。
特に目的はなく、ただぶらぶらと店を覗きながら散歩していただけだ。
その途中、古い作業用品店の前で足が止まった。
店先には長靴が並んでいる。
農作業や現場仕事でよく見る、普通のゴム長靴だ。
その中の一足に、私は思わず目を疑った。
「……え?」
値札には大きく赤い字でこう書かれていた。
「¥9100 税込¥10000」
私はしばらくその値札を見つめていた。
いや、待て。
これ、どう見ても普通の長靴だ。
しかも、よく見ると見覚えがある。
ホームセンターでよく売っているタイプだ。
思わずスマホを取り出して検索してみる。
同じメーカー、同じ形。
表示された価格は――
1980円。
私は思わず笑ってしまった。
「いやいやいや…」
思わず店の中に入った。
レジには年配の店主が立っている。
私は長靴を指さして聞いた。
「これ、本当に1万円ですか?」
店主は特に悪びれる様子もなく答えた。
「そうですよ」
「税込みで?」
「ええ」
私は値札を指さした。
「でもこれ、ホームセンターだと2000円くらいですよね?」
すると店主の表情が少しだけ変わった。
「うちはうちの値段です」
その一言で会話が終わりそうになった。
だが、そのやり取りを近くで見ていた男性客が口を挟んだ。
「え、そんなに高いんですか?」
私はスマホの画面を見せた。
「同じやつ、1980円です」
その男性は目を丸くした。
「えっ……」
店主は少しムッとした顔で言った。
「ネットと店は違います」
私は落ち着いて言った。
「いや、ネットじゃなくてホームセンターです」
さらに続けた。
「しかもこの値札、計算も合ってませんよ」
店主は眉をひそめた。
私は値札を指さした。
「9100円の税込は10010円ですよね?」
店の空気が一瞬止まった。
横にいた男性客が思わず吹き出した。
「ほんとだ…」
店主は何も言わない。
すると後ろで商品を見ていた女性が声を上げた。
「私それ買おうとしてたんですけど…」
女性は長靴を棚に戻した。
「やめます」
その一言で空気が一気に変わった。
男性客も言った。
「俺もやめとこう」
店主の顔が少し赤くなる。
私は静かに言った。
「値段は店の自由です」
店主は小さく頷いた。
「でも」
私は続けた。
「お客さんが知らないと思って値段をつけるのは、さすがにやりすぎじゃないですか?」
店の中は静まり返った。
店主はしばらく黙っていたが、やがて値札を見つめて小さくため息をついた。
そして――
値札を外した。
赤いマジックで書かれた「¥9100」が、手の中でくしゃっと曲がる。
店主はぼそっと言った。
「……値段、考え直します」
私はそれを聞いて、軽く会釈した。
店を出ると、さっきの男性客が笑いながら言った。
「危うく1万円の長靴買うとこだった」
女性も苦笑していた。
「ほんと助かりました」
私は肩をすくめた。
「いや、ただ気になっただけです」
そのまま歩きながら思った。
もし誰も気づかなかったら。
あの長靴は今日も
「税込1万円」
のまま売られていたのかもしれない。
そして私は少し笑ってしまった。
だってさっきの店で、一番安かったのは――
長靴じゃなくて、真実だったからだ。