夫の通帳を記帳しただけなのに、私はその場で足が止まった。
機械から出てきた通帳の一行に、知らない女の名前があった。
小山真奈。
その横には、はっきりと「振込 400,000円」と印字されていた。
四千円でも、四万円でもない。
四十万円。
私は銀行の中で通帳を握ったまま、しばらく動けなかった。
夫はいつも言っていた。
「今月きついから、少し節約して」
「そんな服、今買わなくてもいいだろ」
「家計を守るのはお前の役目だろ」
私はその言葉を信じて、スーパーでは値引きシールを探し、自分の化粧品も安いものに変えた。
なのに夫は、私に内緒で知らない女に四十万円を送っていた。
怒りで頭が真っ白になった。
でも、その場で電話はしなかった。
ここで問い詰めたら、きっと適当な嘘で丸め込まれる。
私は通帳のそのページを撮影し、日付と時間も保存した。
そして何事もなかったように通帳をバッグに戻した。
その夜、夫はいつも通りの顔で帰ってきた。
ネクタイを緩めながら、ため息まじりに言った。
「最近、仕事のストレスがすごいんだよ。金もないし、お前も無駄遣いするなよ」
私は味噌汁を置きながら、静かに笑った。
「そうなんだ。じゃあ、あの四十万円はストレス解消代?」
夫の箸が、カランと音を立てて落ちた。
一瞬で顔色が変わった。
「は?何の話だよ」
「小山真奈さんに振り込んだ四十万円の話」
夫は数秒黙ったあと、急に笑った。
「ああ、あれは友達に貸しただけだよ」
「女の人だよね」
「仕事関係だよ」
「さっき友達って言ったよね」
夫の目が泳いだ。
次の瞬間、彼は声を荒らげた。
「そもそも、なんで俺の通帳を見てるんだよ!」
その言葉で、私の中の何かが完全に冷めた。
やましい人ほど、質問には答えず、見つけた側を責める。
私はその日、それ以上何も言わなかった。
でも翌日から、全部調べた。
過去の記帳分、カード明細、夫の外出時間、給料日の後の動き。
一つずつ並べていくと、嫌でも見えてきた。
小山真奈への振込は、一度だけではなかった。
十万円、二十万円、そして今回の四十万円。
合計すると、ほぼ百万円近くになっていた。
夫が「今月苦しい」と言った月ほど、その女への振込が増えていた。
私は泣きそうになりながらも、全部コピーした。
そして弁護士に相談した。
夫婦の共有財産から勝手に大金を流していたこと。
相手がただの仕事関係ではない可能性があること。
夫が家計を理由に私を責めながら、裏で別の女に金を渡していたこと。
弁護士は静かに言った。
「感情でぶつかる前に、証拠をそろえたのは正解です」
その言葉で、私はようやく息ができた。
数日後、夫はまた私に言った。
「今月も厳しいから、食費もう少し下げられない?」
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