昼休み、社長がいきなりスマホを掲げて言った。
「これ、10人中8人が間違える角度の問題らしいぞ。」
最初はただの雑談だと思って、みんな軽く笑っていた。
けれど社長は、問題の画像を見せながら妙に得意げだった。
「さて、うちの社員はどれだけ頭が回るかな。」
空気が少し変わった。
同僚たちは順番に答え始めた。
「30度ですか?」
「いや、120度じゃないですか?」
「直角があるから、90度?」
答えが出るたびに、社長はわざとらしく首を振った。
「違う違う。」
「小学生でも分かるぞ、こんなの。」
その言い方に、隣にいた新人の顔がこわばった。
彼女は入社したばかりの実習生で、さっき勇気を出して答えたばかりだった。
社長はその子を見て笑った。
「最近の若い子は、図形も苦手か。」
その瞬間、私は箸を置いた。
笑いで流すには、少し嫌な言葉だった。
すると社長は、今度は私を指さした。
「お前、いつも冷静な顔してるよな。」
「じゃあ答えてみろよ。」
周りの視線が一気に集まった。
私はスマホの画像を一度見て、すぐには答えなかった。
社長はそれを見て、勝ったように笑った。
「ほら、分からないんだろ。」
「分からないなら分からないって言え。」
私はゆっくり立ち上がった。
そして近くにあったメモ用紙とボールペンを取りました。
「答えだけ言っても、また“たまたま当たった”と言われそうなので、説明します。」
社長の眉が少し動いた。
私は紙に、スマホの図と同じように線を引いた。
左側の斜め線には、画像と同じ矢印をつけた。
右側の斜め線にも、同じ矢印をつけた。
「この矢印、同じ向きですよね。」
「つまり、この2本は平行です。」
社長は黙っていた。
私は左側の60度を指した。
「左の斜め線と横線の角度が60度なら、右側の同じ向きの斜め線も、横線に対して60度です。」
何人かの同僚が身を乗り出した。
私は次に、右側の直角マークを丸で囲んだ。
「ここは90度。」
「つまり、この下の線は、さっきの60度の線に対して直角です。」
社長の表情から、少しずつ余裕が消えていった。
私は最後に、赤い疑問符の角度を指した。
「だから、求める角度は30度ではありません。」
「横線から見ると、60度に直角の90度を足して、150度です。
」
部屋が一瞬、静かになった。
それから、誰かが小さく「おお……」と声を漏らした。
社長はすぐにスマホを奪うように見直した。
「いや、これは図が雑だからな。」
「正確に描いてないだろ。」
私はその言葉を待っていた。
「では、画像を拡大しましょう。」
私は社長のスマホをテーブルに置いて、みんなに見えるように拡大した。
矢印ははっきり同じ向きだった。
直角のマークも、はっきり描かれていた。
「図が雑なのではなく、条件を見落としているだけです。」
その一言で、何人かがこらえきれずに笑った。
社長の顔が赤くなった。
それでも彼は、まだ何か言い返そうとしていた。
すると、さっき笑われた実習生が小さな声で言った。
「私も最初、平行線だと思ったんです。」
「でも社長が違うって言ったから、自信なくなって……。」
その場の空気が、完全に変わった。
私は社長を見た。
「間違えることは誰にでもあります。」
「でも、人の答えを聞く前から見下すのは違います。」
社長は口を開きかけたが、何も言えなかった。
昼休みのざわめきが戻るころ、同僚の一人が冗談っぽく言った。
「社長、次から問題出す前に解答確認しておきましょう。」
そこで一気に笑いが起きた。
社長は苦笑いのような顔で、スマホをポケットにしまった。
「まあ、今日はたまたまだ。」
その声は、さっきよりずっと小さかった。
午後、実習生が私の席に来た。
「さっき、ありがとうございました。」
「私、本当に自分がバカなのかと思ってました。」
私は首を振った。
「分からないことは恥ずかしくないよ。」
「でも、分からない人を笑う人ほど、案外いちばん見落としてる。」
彼女は少し笑った。
その日以来、社長は昼休みに“頭の体操”を持ってこなくなった。
たった一本のペンと一枚のメモ用紙だった。
でも、それだけで十分だった。
人を試すつもりで出した問題が、最後には自分の見落としをさらす問題になったのだから。