「どうせ自分で擦ったんでしょ?」と言われた瞬間、私は黙って管理会社に向かいました。
私はいわゆるペーパードライバーです。
免許はあるけれど、運転は久しぶり。
ハンドルを握るだけで肩に力が入るし、駐車するときなんて、毎回ひと仕事です。
だから、赤い車のボディに長い傷を見つけた瞬間、最初に思ったのは怒りではありませんでした。
「もしかして、私が気づかないうちにやった……?」
その傷は、かなり目立っていました。
赤い塗装の上に、白い擦り傷が一直線に何本も走っていて、まるで硬いブラシで無理やり削ったような跡。
指でなぞると、表面だけではなく少し深く入っている部分もありました。
私はその場でしばらく固まりました。
けれど、どうしても納得できませんでした。
こんなに派手に擦ったなら、音がするはず。
車体が揺れるはず。
少なくとも「あっ」と思う瞬間があるはずです。
なのに、私にはまったく記憶がありませんでした。
家に帰って写真を見せると、夫は一枚見ただけで言いました。
「駐車のときに柱か壁で擦ったんじゃない?」
その言い方が、妙に軽かった。
まるで最初から答えが決まっているみたいでした。
近所の人にも相談しました。
すると返ってきたのは、似たような言葉でした。
「初心者なら、気づかないこともあるよ」
「自分でやったと思って修理した方が早いんじゃない?」
その瞬間、胸の奥が少し熱くなりました。
私は運転が得意ではありません。
でも、だからといって何でも私のせいにされるのは違う。
下手だから疑われる。
不慣れだから黙って払う。
そんな流れに乗るのだけは、どうしても嫌でした。
私はもう一度、傷の写真を見直しました。
高さ。
向き。
擦れ方。
傷は前から後ろへ、ほぼ同じ高さで続いていました。
自分で柱にぶつけたなら、もっと一点に強く当たるはずです。
でもこれは、何かが横を滑るように当たった跡に見えました。
私は翌朝、管理会社に連絡しました。
最初の返事は、かなりそっけないものでした。
「小さな擦り傷だと、監視カメラでは分かりにくいかもしれません」
正直、面倒そうな声でした。
でも私は引き下がりませんでした。
車を停めた時間。
傷を発見した時間。
駐車位置。
隣の車との距離。
出入口からの車の流れ。
全部メモして、写真にも印をつけました。
「この時間帯のこの方向だけでも確認してください」
そう言って、資料を渡しました。
担当者は少し驚いた顔をしました。
たぶん、私がただ泣き寝入りするタイプだと思っていたのでしょう。
数日後、連絡が来ました。
「映像、確認できました」
その一言で、心臓が強く鳴りました。
管理室で映像を見ると、そこには白いSUVが映っていました。
私の車の隣にゆっくり近づき、バックで切り返そうとしている。
次の瞬間、その車の側面が私の赤い車にぴったり寄りました。
そして、ゆっくりと擦りながら進んでいったのです。
画面越しでも分かるほど、車体が接触していました。
さらに信じられなかったのは、その後でした。
運転手は一度車から降りました。
私の車の傷を見ました。
自分の車も見ました。
そして、周りをきょろきょろ確認してから、そのまま乗り込んで出ていったのです。
私は思わず笑ってしまいました。
自分を疑って、落ち込んで、修理代まで覚悟していた時間は何だったのか。
管理会社から映像の記録を受け取り、私はすぐ警察に相談しました。
相手には連絡が入りました。
最初、相手はこう言ったそうです。
「擦った感覚はなかったです」
私はその言葉を聞いて、静かに答えました。
「感覚がなくても、映像には残っています」
後日、相手と話す場が設けられました。
相手は最初、曖昧に笑っていました。
「ちょっと当たったかもしれないけど、そこまでとは思わなくて」
私はスマホの画面を見せました。
そこには、白いSUVが私の車を擦り、その後に降りて確認している姿がはっきり映っていました。
相手の顔から笑みが消えました。
私は言いました。
「見てますよね。傷も、自分の車も」
その場が静まりました。
結局、修理代は全額相手負担。
管理会社からも、駐車場内での接触事故と無申告について注意が入りました。
さらに掲示板には、駐車場での接触時は必ず申告するよう、強めの注意文が貼られました。
夫はあとで気まずそうに言いました。
「最初から決めつけて悪かった」
私は笑って返しました。
「次からは、私じゃなくて証拠を見てね」
運転が苦手なことと、何でも自分のせいにされることは別です。
不慣れでも、確認する権利はある。
自信がなくても、声を上げていい。
あの長い傷は痛かったけれど、ひとつだけ分かったことがあります。
疑われたときに必要なのは、言い訳じゃない。
相手が黙るだけの証拠です。