「撮ってどうすんの?」
自転車走行帯をふさいだタクシー運転手は、私のスマホを見て鼻で笑った。
昨日の帰り道、私はいつものように自転車で家へ向かっていた。
車道の端には、白線で区切られた自転車走行帯があった。
車の流れも多かったから、私はそこをまっすぐ走っていた。
すると前方のタクシーが、突然スッと左へ寄ってきた。
一瞬、客を降ろすのかと思った。
でも、その止まり方を見て、私は思わずブレーキを握った。
タクシーの車体は白線ぎりぎり。
後ろ半分が、私の走る場所を完全にふさいでいた。
右側には車が次々と通っている。
無理に避けたら、車道側へ大きくはみ出すしかない。
私はベルを鳴らした。
一回だけ、軽く。
運転手はバックミラー越しに私を見た。
目が合った。
それなのに、動かない。
まるで「勝手に避けろ」と言っているようだった。
私は仕方なく止まり、少し待った。
でも、タクシーは動かない。
後ろからも自転車が一台近づいてきて、私の後ろで止まった。
その人も困ったように車道を見ていた。
私はもう一度ベルを鳴らした。
すると、運転手が窓を開けた。
そして面倒くさそうに言った。
「ちょっとくらい待てないの?」
その言い方に、胸の奥がカッとなった。
私は急いでいたわけじゃない。
でも、ここは私が安全に走るための場所だ。
待つ待たないの話ではない。
危ないから困っているのだ。
私はできるだけ冷静に言った。
「ここ、自転車走行帯ですよ。通れないので、少し前に出てもらえますか?」
すると運転手は、またミラーを見て笑った。
「自転車なんだから、横から行けばいいでしょ」
横?
右側には車が走っている。
左はガードレール。
どう見ても、安全に通れる幅なんてない。
私はその瞬間、この人は分かっていてやっているのだと思った。
私は言い返さなかった。
怒鳴っても、きっと「面倒な自転車乗り」扱いされるだけだと思ったから。
代わりに、スマホを取り出した。
タクシーの位置。
白線。
車体が自転車走行帯をふさいでいる様子。
車のナンバー。
会社名。
点灯しているランプ。
全部、落ち着いて写真に残した。
運転手はそれを見て、また鼻で笑った。
「撮ってどうすんの?」
その言葉で、私は完全に腹が決まった。
私はその場でタクシー会社の問い合わせ先を調べた。
そして写真を添付し、時間と場所を書いた。
「自転車走行帯を塞がれ、車道側へ出るような危険な状況になりました」
「運転手に移動をお願いしましたが、対応してもらえませんでした」
そう送信した。
運転手はまだ余裕そうだった。
「そんなの意味ないよ」
そう言いたげな顔で、ハンドルに肘をついていた。
ところが、数分後だった。
タクシーの中で、運転手のスマホが鳴った。
最初は普通の顔で出た。
でも、相手の声を聞いた瞬間、表情が変わった。
さっきまでの薄笑いが消えた。
「はい……はい、今です……」
運転手の声が小さくなった。
私は何も言わず、その様子を見ていた。
後ろにいた自転車の人も、黙って見ていた。
電話の向こうは、どうやら会社だった。
運転手は何度も「すみません」と繰り返した。
そして電話を切ると、ゆっくりドアを開けて降りてきた。
さっきまでの態度とは別人のようだった。
「すみませんでした。すぐ動かします」
私は短く答えた。
「私だけじゃなくて、ここを通る人みんなが危ないです」
運転手は何も言い返さなかった。
すぐに車に戻り、タクシーを前へ動かした。
ふさがれていた自転車走行帯が、ようやく空いた。
後ろにいた自転車の人が、小さく言った。
「ちゃんと記録して正解でしたね」
私は少しだけ笑った。
怒鳴らなくてよかった。
泣き寝入りしなくてよかった。
相手の土俵に乗らなくてよかった。
タクシーの横を通り過ぎる時、運転手は窓を少し開けていた。
私は前を向いたまま、静かに言った。
「道をふさいだのは一瞬でも、記録は残りますよ」
運転手は黙っていた。
その沈黙だけで十分だった。
道路は、強い人だけのものじゃない。
車のためだけのものでもない。
自転車にも、歩行者にも、ちゃんと安全に通る権利がある。
たった少し車を寄せるだけ。
たった少し周りを見るだけ。
それができない人ほど、なぜか態度だけは大きい。
でも今は、言い返すより強いものがある。
写真。
時間。
場所。
記録。
そして、冷静な一通の連絡。
あの運転手は、私が何をしているのか最後まで分かっていなかった。
でも会社から電話が来た瞬間、全部分かったはずだ。
人を危険な方へ追いやっておいて、何もなかった顔では帰れない。
そういう当たり前のことを、少しは思い出してくれたらいい。