夫のスマホに届いた通知を見た瞬間、背筋が冷たくなった。
「あきらくん、土日は会えたりしないのー?」
私は一瞬、意味が分からなかった。
だって、私の夫の名前は悠馬。
あきらなんて名前ではない。
でも、その下に続いた夫の返信を見て、手が震えた。
「土日は嫁が子供の面倒を見てるから、休ませてあげないといけないんだよ〜」
「その代わり、平日はゆりにたくさん会えるからね」
さらに次のメッセージで、吐き気がした。
「土日はいいパパを演じて、平日はゆりとの時間を大切にしたいんだ」
演じて?
この人は、子どもを抱っこして笑っていた時間まで“演技”だったのか。
怒鳴りたい気持ちを必死に飲み込んだ。
ここで問い詰めたら、どうせ「冗談だ」「相手が勝手に勘違いしてる」と逃げる。
私は深呼吸して、画面を一枚ずつ撮影した。
名前。
日時。
会話内容。
待ち合わせ場所。
送金履歴。
全部、保存した。
その夜、夫はいつもの顔で帰ってきた。
玄関で子どもを抱き上げて、にこにこしながら言った。
「パパ、土日はずっと一緒にいるからな」
私はその光景を見ながら、心の中で笑った。
いいパパを演じてるんだよね。
本当に上手だね。
でも、もう観客は騙されないよ。
翌日、私は夫の偽名「あきら」で調べ始めた。
SNS、予約履歴、メールの通知、写真フォルダ。
出てくる、出てくる。
夫はその女性に、自分は独身だと言っていた。
週末に子どもといる理由も、「親戚の子の面倒を見ている」と説明していた。
しかも相手の女性は、来週の“10ヶ月記念日”を楽しみにしていた。
10ヶ月。
私はその間、夫のためにお弁当を作り、子どもの行事を一人で回し、疲れて帰ってくる夫を気遣っていた。
その間、夫は別の名前で別の人生を楽しんでいた。
私はその女性、ゆりさんに連絡した。
最初、彼女は警戒していた。
「どちら様ですか?」
私は短く返した。
「“あきら君”の本当の妻です」
しばらく既読がついたまま、返事はなかった。
数分後、震えたような文章が届いた。
「奥さんって、どういうことですか?」
私は結婚証明になる写真、家族写真、そして夫との結婚式の写真を送った。
彼女から電話が来た。
声は泣いていた。
「私、独身だって聞いてました」
「子どもなんていないって言ってました」
「名前も……あきらじゃないんですか?」
私は言った。
「本名は悠馬です」
電話の向こうで、彼女が息をのむ音がした。
その時、私は初めて思った。
この人も、夫に騙されていたんだ。
憎む相手を間違えたら、夫だけが逃げ得になる。
だから私は、彼女と会うことにした。
カフェで会った彼女は、想像よりずっと若く、ずっと傷ついていた。
私は結婚証明、子どもの写真、夫のメッセージを一枚ずつ見せた。
彼女も、夫から送られてきた甘い言葉や、嘘だらけの話を見せてくれた。
「家庭なんてない」
「本気で将来を考えてる」
「来月は旅行しよう」
私たちはしばらく無言だった。
そして彼女が、涙を拭いて言った。
「私も、ちゃんと終わらせたいです」
私はうなずいた。
その日の夕方、夫をカフェに呼び出した。
「話があるから来て」
夫は何も知らずにやってきた。
私の隣にゆりさんが座っているのを見た瞬間、顔から血の気が引いた。
「え、なんで……」
私は静かに言った。
「悠馬さん、来たよ」
ゆりさんも続けた。
「あきら君じゃなかったんですね」
夫は口を開けたまま固まった。
次の瞬間、私をにらんだ。
「お前、何してんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、ゆりさんが立ち上がった。
そして、夫の頬を思いきり叩いた。
「騙してたのはあなたでしょ!」
店内が一瞬静まり返った。
夫は慌てて言い訳を始めた。
「違う、これは誤解で……」
私は封筒を机に置いた。
中には、スクショのコピー、送金記録、宿泊予約、そして弁護士の名刺。
「誤解なら、弁護士の前で説明して」
夫の口が止まった。
その後、夫は何度も謝ってきた。
「子どものために離婚はやめよう」
「相手とはもう切った」
「名前を偽ったのは、面倒を避けたかっただけ」
私は笑ってしまった。
面倒?
妻も子どもも、相手の女性の人生も、全部踏みにじっておいて、面倒?
離婚協議では、夫の嘘はすべて証拠として提出された。
ゆりさんも、自分が騙されていたことを証言してくれた。
夫は家庭を失い、外の女性にも去られ、周囲からの信用も失った。
最後の日、夫は玄関で小さな声で言った。
「本当に、そこまでしなくてもよかっただろ」
私はドアノブに手をかけたまま振り返った。
「あなた、名前まで偽って人を騙したんだよ」
夫は黙った。
「偽名で恋愛ごっこはできても、本物の家族は守れないよ」
私はそう言って、静かにドアを閉めた。
私の夫は悠馬だった。
でも、外では“あきら君”として生きていた。
だから私は、最後に本当の名前で呼んであげた。
「さよなら、悠馬」
もう二度と、私たちの前で“いいパパ”を演じる必要はない。