求人票を見た瞬間、私は思わずため息をついた。
月額18万2000円〜21万円。
数字だけ見れば、ゼロよりはいい。
でも頭の中で社会保険、税金、家賃、光熱費、食費を引いていくと、残る金額はほとんどなかった。
たぶん手取りは15万円前後。
失業して三ヶ月。
貯金はどんどん減っていた。
友人には何度も言われた。
「今は選んでる場合じゃないでしょ」
「仕事があるだけありがたいよ」
たしかに、焦っていた。
夜になると求人サイトを開いて、同じ画面を何度も更新していた。
でも、どうしても引っかかる求人があった。
給料は安い。
手当はほぼ空欄。
固定残業代の記載もない。
それなのに、備考欄にはこう書かれていた。
「チームワークを大切にできる方」
「繁忙期は協力していただく場合があります」
嫌な予感はした。
でも生活がある。
私は面接に行った。
面接官は最初からにこやかだった。
「うちは若い人が多くて、みんな前向きに頑張っています」
私はうなずいた。
「未経験でも大丈夫です。やる気があれば伸びますから」
そこまではよかった。
でも次の言葉で、空気が変わった。
「まあ、忙しい時期は少し残ってもらうこともあります」
私は求人票を見た。
固定残業代の欄はない。
残業代についての説明もない。
面接官は続けた。
「でも、みんなで助け合う感じなので、あまり細かく考えすぎない人のほうが合いますね」
その瞬間、私の中で何かが止まった。
細かい?
家賃を払うのも細かいこと?
食費を削るのも細かいこと?
病院に行くのを迷うのも細かいこと?
私は求人票をテーブルの上に置いた。
そして、できるだけ落ち着いた声で聞いた。
「固定残業代の記載がありませんが、残業代は全額別で支給されますか?」
面接官の笑顔が一瞬止まった。
「ええと……まあ、状況によりますね」
状況?
私はさらに聞いた。
「では、月額18万2000円の場合、手取りは15万円前後になると思いますが、その金額で長期的な残業も求めるという理解で合っていますか?」
部屋が静かになった。
面接官はペンを回しながら、少し困った顔をした。
「いや、そこまでお金のことを最初から気にされると……」
私はすぐに返した。
「生活に関わることなので、最初に確認するのは当然だと思います」
相手は黙った。
さっきまでの“会社が選ぶ側”という空気が、少しずつ崩れていくのが分かった。
面接官は苦笑いした。
「若いうちは、経験を優先したほうがいいですよ」
私は笑わなかった。
「経験は大事です。でも、生活できない条件を美談にするのは違うと思います」
その瞬間、完全に空気が凍った。
でも不思議と怖くなかった。
むしろ、胸の中がすっと軽くなった。
私はずっと、自分には選ぶ資格がないと思っていた。
失業中だから。
貯金が少ないから。
周りに急かされているから。
でも違った。
焦っている人間ほど、条件を確認しないといけない。
弱っている時ほど、曖昧な言葉に流されてはいけない。
面接の最後、相手は言った。
「では、結果は後日ご連絡します」
私はその場で頭を下げた。
「ありがとうございます。ただ、条件面が不明確なので、今回は辞退させていただきます」
面接官は驚いた顔をした。
まさか、私のほうから断るとは思っていなかったのだと思う。
会社を出た瞬間、足が震えた。
強がったけど、怖かった。
でも後悔はなかった。
帰宅して、私はその日の面接内容を全部メモした。
曖昧な求人。
残業代をぼかす言い方。
「やる気」「成長」「チーム精神」で低賃金を包む会社。
もう同じところには引っかからない。
そこから私は、応募する求人の見方を変えた。
給与の内訳が書いてあるか。
残業代が明記されているか。
手当が具体的か。
面接で質問した時に、きちんと答える会社か。
一週間後、別の会社から内定をもらった。
月給は前の求人より5万円高い。
残業代は1分単位で支給。
交通費も別。
面接では、こちらから聞く前に条件を説明してくれた。
その会社の担当者はこう言った。
「生活に関わることなので、不安な点は遠慮なく聞いてください」
その言葉を聞いた時、私は心の中でガッツポーズした。
後日、あの時「選んでる場合じゃない」と言っていた友人に内定を報告した。
すると友人は少し黙ってから言った。
「ごめん、私も求人票の見方を教えてほしい」
私は笑って、面接で聞く質問リストを送った。
あの日、私は仕事を一つ失ったんじゃない。
自分を安売りする未来を、一つ断っただけだった。