遠足の日だった。
子どもたちは朝から大はしゃぎだった。
おやつの話。
お弁当の話。
バスの席の話。
普段より少しだけ高い声で笑っている。
そんな中、一人の女の子が気になった。
最初に目に入ったのはジャンパーだった。
季節は冬。
少し大きめのジャンパーを着ていた。
でもどこか違和感があった。
袖口は少し伸びていて、
背中には取れないしわが残っている。
何度も着て、
何度も洗った服のように見えた。
もちろんそれだけなら珍しくない。
でもなぜか気になった。
バスの中で隣の席になった時、
私は何気なく話しかけた。
「今日のジャンパー暖かそうだね」
女の子は嬉しそうに笑った。
「うん!」
その笑顔が可愛くて、
私はさらに話を続けた。
「お母さんがお洗濯してくれたの?」
すると女の子は首を振った。
「自分で洗った」
私は思わず聞き返した。
「え?自分で?」
女の子は当たり前のように頷く。
「うん」
少し驚いた。
小学三年生。
まだ九歳だ。
「お母さん忙しいの?」
そう聞くと、
女の子は何でもない顔で答えた。
「弟の服はお父さんかお母さんが洗う」
私はさらに聞いた。
「じゃあ〇〇ちゃんの服は?」
「自分で洗う」
本当に自然に言った。
まるで当たり前のことのように。
私は思わず聞いた。
「冬の服って重たくない?」
すると彼女は笑った。
「洗えなかったら違う服着る」
「暖かくなったら洗うから大丈夫」
私は返事ができなかった。
本人は困っていない。
不満もない。
だから余計につらかった。
遠足先に到着し、
お昼の時間になった。
子どもたちは嬉しそうにお弁当を広げる。
その時だった。
私はまた手を止めた。
女の子のお弁当が、
どう見ても子どもの手作りだった。
少しいびつなおにぎり。
焦げた卵焼き。
簡単なおかずだけ。
私は聞いた。
「これ作ったの?」
すると彼女は笑った。
「うん」
「お父さん起きなかったから」
その笑顔を見て、
胸がぎゅっと締め付けられた。
責める様子もない。
悲しそうな顔もない。
ただ事実を話しているだけ。
それが一番つらかった。
そしておやつの時間になった。
みんな嬉しそうに袋を開け始める。
チョコレート。
グミ。
クッキー。
子どもたちの笑い声が響く。
でもその子だけ何も出さない。
私は隣に座った。
「おやつ忘れた?」
すると首を振った。
「買ってない」
「どうして?」
そう聞くと、
彼女は少し笑った。
「おこづかいもったいないから」
私は黙った。
でも次の言葉で完全に言葉を失った。
「来週は弟の遠足もあるから」
その瞬間、
胸の奥が苦しくなった。
自分のためじゃない。
弟のために我慢している。
まだ九歳なのに。
誰にも言われていないのに。
当たり前のように。
話題を変えたくなった。
少しでも明るい話をしたかった。
「将来の夢は?」
すると女の子の目が少し輝いた。
「画家さん」
「絵を描く人になりたい」
私は笑った。
「いいね」
「どんな絵描くの?」
すると彼女は嬉しそうに言った。
「宇宙飛行士」
「宇宙飛行士の絵描きたい」
私は何気なく聞いた。
「じゃあ宇宙飛行士になりたいんだ?」
その瞬間だった。
女の子は少しだけ視線を落とした。
そして小さな声で言った。
「私は行けないから」
私は聞き返した。
「え?」
すると彼女は空を見ながら言った。
「宇宙って遠いし」
「私じゃ行けないと思う」
その言葉が胸に刺さった。
どうして九歳の子が、
そんな諦め方を知っているんだろう。
どうして夢を見る前に、
自分には無理だと思ってしまうんだろう。
私はしばらく何も言えなかった。
そしておやつの時間が終わる頃。
私はカバンを開いた。
本当はダメだ。
ルール違反だ。
おやつ交換は禁止。
先生がおやつをあげるのも本当は良くない。
でも私は負けた。
自分のおやつを取り出し、
何でもない顔で言った。
「先生お腹いっぱいやから食べて〜」
女の子は驚いた顔をした。
しばらく遠慮していた。
でも最後は小さく頷いた。
そして袋を開けた。
その時見せた笑顔は、
その日見たどんな景色よりも眩しかった。
もし怒られるなら怒られてもいい。
あの日私が守りたかったのは、
ルールじゃない。
たった一人の女の子の、
遠足の思い出だった。
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