その日、私は朝から全部うまくいくと思っていた。
保育士資格を取るために、ずっと準備してきた大事な講座の日だった。
受講票も、筆記用具も、ノートも、前日の夜に何度も確認した。
駅までの時間も調べて、余裕を持って家を出た。
「今日を越えたら、夢に一歩近づく」
そう思っていた。
ところが、途中の駅で電車が止まった。
人身事故だった。
アナウンスが流れた瞬間、車内の空気が一気に重くなった。
私はすぐに乗換案内を開いた。
別ルートを探した。
駅員さんにも聞いた。
でも、どのルートも大きく遅れていた。
このままでは間に合わない。
私は改札を出て、タクシー乗り場へ走った。
会場まで直接行ける距離ではなかったから、途中で何度も乗り換えた。
電車に乗れる区間は乗り、また降りてタクシーに乗った。
カード明細には8,660円。
それでも私は、時間だけを見ていた。
「お願い、間に合って」
手には遅延証明書。
スマホには乗換履歴。
財布にはタクシーの領収書。
私は本当に、できる限りのことをした。
会場に着いた時、講座開始から十数分が過ぎていた。
息を切らしながら受付に駆け込んだ。
「すみません、人身事故で遅れました。遅延証明もあります。タクシーの領収書もあります」
私は必死に説明した。
けれど、スタッフの返事は冷たかった。
「規則ですので、開始後の入場はできません」
一瞬、言葉が出なかった。
「でも、電車が止まって……私、何度も乗り換えて、ここまで来たんです」
そう言って、証明書を差し出した。
スタッフはほとんど見なかった。
「理由にかかわらず、遅刻は遅刻です。来年またお申し込みください」
その瞬間、胸の奥がぎゅっと潰れた。
ドアの向こうから、講座の声が聞こえていた。
私が一年かけて準備してきた時間が、そのドア一枚の向こうにあった。
私はそこに立っているのに、入れなかった。
悔しくて、手が震えた。
泣きそうだった。
でも、その場では泣かなかった。
泣いたら、ただの「遅刻した人」で終わると思ったから。
帰り道、私は全部を撮影した。
遅延証明書。
タクシーの領収書。
カード明細。
駅の運行情報。
到着時間。
受付で言われた内容も、忘れないうちにメモした。
家に帰ってから、私は正式な申立てを書いた。
「故意の遅刻ではないこと」
「公共交通機関の重大な遅延だったこと」
「代替手段を取って会場へ向かったこと」
「証明書と支払い記録があること」
「不可抗力の場合の救済手続きが案内されなかったこと」
感情だけではなく、時系列で全部まとめた。
最初の返事は、やっぱり冷たかった。
「規則に基づいた対応です」
でも私は引かなかった。
「では、公共交通機関の大幅遅延時の個別確認手続きはありますか?」
「現場で申請方法が案内されなかった理由を教えてください」
「同様のケースで受講者が不利益を受けない仕組みはありますか?」
何度も問い合わせた。
関連窓口にも相談した。
しつこいと思われてもいい。
私はクレームを言いたかったんじゃない。
あの日の私みたいに、努力した人が十数分で全部を失う仕組みを、そのままにしたくなかった。
その年、私は講座を受けられなかった。
本当に悔しかった。
でも、主催側から後日連絡が来た。
「公共交通機関の重大な遅延があった場合、今後は個別確認の流れを設けます」
その文面を見た時、涙が出た。
私の一年は戻らない。
でも、あの時の証明書も、領収書も、諦めずに出した声も、無駄ではなかった。
そして翌年。
私はもう一度申し込んだ。
今度は前日から会場近くに泊まった。
朝はまだ暗いうちに起きた。
遅延があっても間に合うように、ルートを三つ用意した。
受講票も、筆記用具も、身分証も、前よりずっと丁寧に確認した。
会場には、開始二時間前に着いた。
去年、私を閉め出した同じ建物の前に立った時、胸が少し痛んだ。
でも今度は、私は中に入った。
講座を受けた。
試験も受けた。
そして、保育士資格を取得した。
合格通知を見た瞬間、私は去年の遅延証明書を取り出した。
しわのついた小さな紙。
あの日、私の夢を閉め出したように見えた紙。
でも今は違う。
それは、私が諦めなかった証拠だった。
さらに後日、主催側の案内に新しい一文が追加されているのを見つけた。
「公共交通機関の重大な遅延が発生した場合は、証明書等を確認のうえ個別対応を行う場合があります」
私はしばらく、その文章を見つめていた。
あの日、私が門前払いされた十数分。
あの日、悔しくて震えながら握りしめた遅延証明。
あの日、泣かずに残した記録。
全部、ここにつながっていた。
私は負けなかった。
十分钟の遅刻に、夢を奪わせなかった。
規則に突き放されても、自分の人生まで突き放さなかった。
今年、私は資格証を手に入れた。
そして同じように交通事故で遅れた別の受講者が、新しい流れで救われたと知った。
その時、心の底から思った。
去年の涙は、私一人のためだけじゃなかった。
閉め出されたあの日から、私はちゃんと前に進んでいた。