スタートの号砲が鳴った瞬間、街全体が一気に目を覚ました。
何千もの足音が同時に地面を打ち、一定のリズムで前へ流れ出す。マラソンランナーたちは一斉に走り出し、沿道からは歓声が波のように押し寄せる。タイマーが点灯し、赤い数字が動き始めた。
その先頭集団に、ひとりだけ場違いな人物が紛れ込んでいた。
濃い色の制服を着て、四角い箱を背負っている。ゼッケンはなく、競技用のウェアでもない。それなのに、なぜか最前列にいる。
一瞬、空気が止まった。
「え? あれ何?」
「コスプレ?」
「今どきのマラソン、そんなのアリ?」
誰かがスマホを構えた。
「宅配便のコスプレ選手? ずいぶん本格的だな」
彼は誰の方も見なかった。
号砲の余韻が消えると同時に、全員が前へ飛び出す。
彼も走り出した。
ジョギングではない。演出でもない。
迷いのない全力疾走だった。
笑い声はすぐに消えた。
彼は遅れなかった。
それどころか、先頭集団に食らいつき、じわじわと前へ出ていく。
背中の箱が上下に揺れ、鈍い音を立てる。荒い呼吸と足音が重なった。
隣を走るプロ選手が、ちらりと彼を見る。
「パフォーマンスですか?」
返事はない。
「大会出てるんですか?」
彼は少しだけ顔を向け、息を整える間もなく腕時計を見た。
10時41分。
「いいえ」
「じゃあ、なんでそんなに…」
「仕事中なんです」
選手は言葉を失った。
その間にも、後続のランナーたちは次々と引き離されていく。
気づけば、彼らは完全に先頭に立っていた。
コースはまっすぐ伸び、ゴールゲートがはっきりと見える。
実況の声が一段高くなる。
「現在トップは先頭集団――あれ? 画面に映っている、制服姿のランナーは一体……?」
観客席がざわつく。
「さっきのコスプレじゃない?」
「なんで先頭にいるの?」
「本物の選手じゃないの?」
カメラは二人を追い続ける。
一人は研ぎ澄まされた身体のアスリート。
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