医師はカルテをめくりながら、私を一度見て、もう一度見た。
その視線には覚えがある。
同情でもなく、深刻でもない。
――**「これから、あなたが聞きたくない話をしますよ」**という予告の目だ。
「手術当日はですね」
医師は言った。
「ご家族の方に、院内で待機してもらう必要があります。」
私は、ほとんど間を置かずに答えた。
「いりません。」
「私、死にませんから。」
医師のペンが、ぴたりと止まった。
「それは、生きるか死ぬかの問題ではありません。」
「万が一、手術中に判断が必要な事態が起きた場合、ご家族の意思確認が必要なんです。
」
私はうなずいた。
「だったら、なおさら不要です。」
「来たところで、娘が手術するわけじゃないですし。」
医師は黙って私を見つめた。
「ご家族は?」
「娘です。」
「ご主人は?」
「亡くなりました。」
「他にご親族は?」
「いません。」
私は肩をすくめた。
「母娘二人きりです。」
医師は小さくため息をついた。
「それなら、なおさら必要です。」
私は首を横に振った。
「無理です。」
「なぜですか?」
「その日は、娘の転職先の初出社日なんです。」
「どうしても休めません。」
自分でも驚くほど、迷いなく言えた。
医師は少し眉をひそめた。
「これは、がんの手術ですよ。」
「親知らずの抜歯ではありません。」
「わかっています。」
「だからこそです。」
医師はしばらく私を見つめ、カルテを閉じた。
「では、娘さんと直接お話しします。」
私はすぐに言った。
「脅さないでください。」
「事実を話すだけです。」
その場で娘に電話をかけた。
三回目のコールで出た。
「お母さん?」
背景は騒がしく、駅構内のようだった。
医師は電話を受け取り、丁寧に自己紹介した。
「お母様が来週手術を受けられます。当日はご家族の院内待機が必要です。」
一瞬、沈黙。
そして娘は言った。
「行けません。」
医師が説明を始める前に、彼女は続けた。
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