電車で、
子どもが靴のまま
座席の上でしゃがんでた。
トントン、と足を動かすたびに、
シートに黒い跡がつく。
隣の父親は、
それを見てるだけ。
止める気配も、
気まずそうな様子もない。
——え、見えてるよね?
少し迷ったけど、
このまま誰かが座ると思うと無理だった。
私は、できるだけ穏やかに声をかけた。
「すみません、靴……座席なんで」
父親がゆっくりこちらを見る。
そして返ってきたのは、
「子どもなんで」
……それだけ。
一瞬、言葉が詰まる。
「いや、でもここ座るところなんで……」
言いかけた瞬間、
「気にしすぎじゃないですか?」
かぶせるように言われた。
空気が、ピリッと変わる。
周りの人も、なんとなくこちらを見る。
私は深呼吸した。
怒鳴るほどじゃない。
でも、引くにはおかしい。
「このあと、誰か座りますよね?」
静かに言うと、父親は一瞬だけ黙った。
でもすぐに、
「すぐ降りるんで」
と、軽く流した。
——出た。
その場しのぎ。
その時だった。
後ろから、ぽつっと声が落ちた。
「いや、普通に汚いでしょ」
別の乗客だった。
続けて、
「靴のままはさすがにね」
「子どもでもダメでしょ」
声が、少しずつ重なる。
一気に空気が変わった。
父親の表情が固まる。
さっきまでの余裕が、消えた。
私は何も言わなかった。
ただ、黙って見ていた。
父親がようやく子どもに手を伸ばす。
「ほら、降りろ」
低い声。
子どもは不満そうにしながらも、
ゆっくり座席から降りた。
靴の跡が、そのまま残る。
父親はそれを見て、
何も言わない。
拭こうともしない。
ただ、視線を逸らした。
——そこは見ないんだ。
私は少しだけ苦笑した。
怒りというより、呆れだった。
最初から、こうすればよかっただけ。
注意されてやるなら、
最初からやればいい。
子どもは、悪くない。
知らないだけだから。
でも——
それを“教えない大人”は、別だと思う。
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