そもそも、あいつとは長い付き合いだった。
だから信用していた。
「ちょっと資金繰りが厳しくてさ」
そう言われた時も、疑うとはなかった。
借用書もちゃんと用意していたし、条件も明確だった。
金額、返済期限、利息。
全部書いてあった。
「ここまでやるなら大丈夫だろ」
周りもそう言っていた。
そして最後に、ハンコ。
あいつはその場でポケットから印鑑を出して押した。
その瞬間、少しだけ違和感があった。
押し方が妙だった。
一回で押さずに、少しだけズラした。
でもその時は深く考えなかった。
正直、意味が分からなかったから。
そして半月後。
約束の日を過ぎても連絡は来なかった。
私は直接会いに行った。
「そろそろ返してくれないか」
するとあいつは、普通の顔で言った。
「何の話?」
冗談かと思った。
でも違った。
私は借用書を出した。
「あの日のだよ」
するとあいつは、それを見て笑った。
「これ?」
そして指差したのは、ハンコだった。
「これ、俺のじゃないけど?」
……は?
一瞬で理解が追いつかなかった。
「その場で押しただろ」
そう言うと、あいつは冷静に返した。
「証明できる?」
その一言で、言葉が止まった。
あとから弁護士に相談した。
でも答えは同じだった。
「この印影だと厳しいですね」
「認印ですし、本人のものと断定するのは難しいです」
そこでやっと分かった。
最初から全部仕組まれていた。
あの時の“ズラし”。
印影をわざと潰していた。
そして使っていたのは、正式な実印じゃない。
あとからいくらでも否定できる状態だった。
つまり——
最初から返すつもりなんてなかった。
私は何も言えなかった。
悔しさより先に、理解してしまったから。
負けたんじゃない。
最初から、勝負になっていなかった。
それから一つだけ決めた。
どれだけ信用していても、
形式を甘くしない。
ハンコの種類も確認する。
印鑑証明も取る。
曖昧な状態では絶対に成立させない。
あの時みたいに——
「大丈夫だろ」で終わらせない。
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