夜、仕事帰りにコンビニへ入る。
朝、出勤前にコーヒーを買う。
雨の日に傘を探し、体調が悪い日に薬を手に取る。
コンビニは、日本で暮らす人にとって、そんなふうに当たり前に立ち寄る場所だ。特別ではない。けれど、特別ではないからこそ、そこには静かに守られるべき日常がある。
そんな場所で、スマホを回しながら踊る人がいる。
通路の真ん中を使い、棚の前を背景にし、店内の空気ごと「撮れる空間」に変えてしまう。
その瞬間、強い違和感と嫌悪感が走る。ここはスタジオじゃない。テーマパークでもない。ましてや、「日本らしい雰囲気」を切り取って再生数を稼ぐための舞台でもない。
撮っている本人にとっては、ほんの数十秒の動画なのかもしれない。
でも、その数十秒のために邪魔される側はたまらない。
買い物をしている人は動線を塞がれ、視線を奪われ、落ち着いて商品を選ぶ時間を壊される。急いでいる人もいる。仕事帰りで疲れている人もいる。子どもを連れている人も、高齢の家族のために買い物をしている人もいる。
その全員が、誰かの「面白い動画」のために、ほんの少しずつ我慢を押しつけられる。
そして、その場でいちばん困るのは店員だ。
注意するべきか、見過ごすべきか。声をかければトラブルになるかもしれない。強く言えば「感じが悪い」と言われ、放っておけば他の客に迷惑がかかる。
動画を撮る側は、撮って終われば去っていく。けれど、その後に残る空気の悪さも、客への対応も、店内の秩序も、全部現場の人が引き受けることになる。
笑っているのは撮る側だけで、後始末をするのはいつも別の誰かだ。
こういう光景を見るたびに思う。
日本の「日常」は、あまりにも軽く扱われすぎていないか、と。
街も、店も、電車も、住宅街も、本来は誰かが生活している場所だ。そこには働く人がいて、急いでいる人がいて、静かに一日を終えたい人がいる。
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