「え?ここ、予約してるんですけど」
新幹線に乗り込んだ瞬間、私は一瞬で違和感を覚えた。
ベビーカーを押しながら向かった先は、“大型荷物スペース”。
事前に予約していた場所だった。
しかしそこには——
巨大なスーツケースが3つ、堂々と置かれていた。
しかも、まるで当然のように持ち主は座席でくつろいでいる。
一瞬、言葉が出なかった。
頭の中で何かがカチッと音を立てた気がした。
(……ああ、またこれか)
SNSで何度も見た光景。
“予約席なのに無断占拠される問題”。
まさか自分が当事者になるとは思っていなかった。
ベビーカーの中では、赤ちゃんが静かに眠っている。
泣いてもいない。
でも、スペースは完全に塞がれていた。
私はゆっくりとスーツケースを見た。
そして一言も発さずに、行動した。
「すみません、どいてもらっていいですか」でもない。
「ここ予約してるんですけど」でもない。
ただ——
3つのスーツケースを通路側へ移動させた。
一つずつ。
迷いなく。
ぽん。
ぽん。
ぽん。
その瞬間、空気が変わった。
「ちょっと何してるんですか!」
後ろから声が飛んできた。
当然の反応だろう。
でも私は振り返らなかった。
「そこ、予約席なので」
それだけ言った。
相手は納得していない様子だった。
小さな言い合いが始まりかけた、その時——
夫が慌てて戻ってきた。
「ちょ、ちょっと待って、これまずいって!」
私は心の中で思った。
(いや、まずいのはそっちじゃない?)
夫は冷静だった。
「車掌さん呼んでくる」
そう言ってすぐに歩いて行った。
私はベビーカーの横に座り、赤ちゃんを見る。
相変わらずぐっすり眠っている。
不思議なくらい静かだった。
数分後。
車掌が到着した。
事情を説明すると、すぐに状況確認が始まった。
そしてスーツケースを一瞥して言った。
「これは予約スペースの不正使用ですね」
その一言で、空気が完全に変わった。
さっきまで強気だった人の表情が固まる。
車掌は淡々と続けた。
「こちら、追加料金が発生します」
え?という顔。
当然だろう。
“無料で占拠できる場所”ではない。
さらに手続きが進み、持ち主に正式な説明が入った。
結果は明確だった。
・予約席の不正使用
・追加料金徴収
・荷物の正式移動指示
車内は一気に静かになった。
さっきまでの小さな騒ぎが嘘のように消えた。
私はようやくベビーカーを定位置に置いた。
赤ちゃんはまだ寝ている。
何も知らないまま、ただ穏やかだった。
私はその姿を見ながら思った。
「最初から車掌呼べばよかったな」
でも同時に、もう一つ思った。
“ルールは声の大きさで変わらない”
静かにそう確信した。
車窓の外は流れていく。
さっきまでの騒動が遠ざかっていくように。