グリーン車の静かな空気の中で弁当を広げ、カメラを回し続けた家族に、隣席の男性が「うるさい!」と一喝した瞬間、車内の空気は一気に張りつめた。
でも、この話がここまで割れるのは、「子どもが泣いた」からじゃない。最初に車内の静けさとルールを崩したのは誰だったのか、そこが曖昧にされるからだ。
3歳児が泣いたことに同情する人もいるだろうし、親子連れに厳しすぎると感じる人もいる。けれど、グリーン車で弁当を食べながら撮影を回し続ける行為まで「家族だから」で流していいのかは別問題だと思う。
しかも、注意した側が悪者みたいに見え始めた瞬間、静かに乗っていた他の乗客の我慢や、車内ルールの意味は一気に軽くなる。
これは「子どもがかわいそう」で終わる話じゃない。公共の空間で、撮る自由と周囲の静けさ、どちらを先に守るべきなのかという話だ。
新幹線のグリーン車って、ただ座席が広いだけの場所じゃない。
普通車より高いお金を払ってでも、少し静かに過ごしたい、仕事をしたい、移動中くらい落ち着きたい、そう思う人が選ぶ空間だ。
もちろん、そこに乗る全員が完全な無音でいなければいけないわけじゃない。
子どもが乗ること自体が悪いわけでもない。
お弁当を食べることだって、それだけなら大きな問題にはならない。
でも、そこにカメラが入り、家族Vlogとして回し続けられた瞬間、話は変わってくる。
なぜなら、その時点で空間の意味が変わるからだ。
周りの乗客にとっては、静かに移動したい共有空間。
でも撮っている側にとっては、「旅の思い出を残す場」「動画の素材を作る場」になる。
同じ場所にいても、見えているものが全然違う。
そして問題は、後者の感覚が強くなりすぎると、前者の静けさが簡単に押しつぶされることだと思う。
弁当を広げる。
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