正直、このニュースは読んだ瞬間に嫌な寒気が残った。
北海道旭川市の旭山動物園に勤務する30代男性が、警察から任意で事情を聴かれていて、捜査関係者によると「旭山動物園の焼却炉に、30代の妻の遺体を遺棄した」という趣旨の供述をしている、と報じられている。しかもその男性は23日も通常どおり出勤していたという。動物園は4月8日から28日まで休園中で、警察は供述をもとに園内を調べるなど慎重に捜査している。 ()
ここでまず引っかかるのは、やっぱり“焼却炉”という言葉の重さだ。
ただ遺体を隠した、ではない。
動物園という、多くの人にとっては家族連れや子どもが笑顔で行く場所。
命を見に行く場所。
その中にある焼却炉が、もし人の遺体遺棄の現場として使われていたのだとしたら、空間の意味が一気に変わってしまう。
明るい場所のはずだったのに、その裏で何が行われていたのか。
そう思った瞬間、ニュースの質感が変わる。
しかも、この件がここまで異様に感じるのは、犯行の残酷さだけじゃない。
報道では、事情を聴かれている男性がその翌日も通常どおり出勤していたとされている。 ()
ここが本当に怖い。
もちろん、まだ捜査中であり、すべてが確定しているわけではない。
そこは絶対に踏み外してはいけない。
でも、もし供述どおりのことが実際に起きていたなら、人の死と遺棄という極限の出来事の直後に“普通の顔で仕事に行ける”という感覚そのものが、ものすごく不気味だ。
壊れているのは行為だけじゃない。
日常への戻り方が壊れている。
ここでコメント欄が割れやすいのも分かる。
「まだ任意聴取なのに騒ぎすぎ」
「供述だけでは決めつけられない」
それはその通りだ。
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引用元:https://twitter.com/24chokemaru/status/2047524206599106766,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]