街の安心って、何か大きな事件が起きた瞬間に壊れるわけじゃない。
ほんの小さな「線引き」が、少しずつ軽く扱われたときに崩れ始める。
他人のものには勝手に触れない。
欲しくても、自分のものじゃないなら手を出さない。
本来なら、そんな当たり前の感覚が、街の静けさや安心を支えている。
だからこそ、あの光景は妙に重かった。
自転車が欲しい。
だから持っていく。
そこにためらいが見えない。
悪いことをしているという緊張も、越えてはいけない線を踏む感覚も薄い。
ただ「欲しいから取る」が先に来ているように見えた。
あれが大人ならもちろん腹が立つ。
でも、正直いちばん寒気がしたのは、まだ幼い子どもでも、その線を自然に越えていたことだ。
自転車って、ただの物じゃない。
誰かの通勤手段で、買い物の足で、毎日の生活を支える道具だ。
置いてあるからといって、自由にしていいものではない。
そこには持ち主がいて、積み重ねてきた生活がある。
なのに、その感覚がごっそり抜け落ちたまま、当然みたいに手を伸ばしていく。
それを見た瞬間、「一台の自転車の話」で終わらない怖さが残る。
怖いのは、盗られる側の損失だけじゃない。
こういう場面が増えたら、街の空気そのものが変わってしまうことだ。
少し目を離したら持っていかれるかもしれない。
子どもだから大丈夫、ではなく、子どもでも平気で越えてくるかもしれない。
そう思い始めた時点で、人はもうその街を以前のようには信じられなくなる。
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引用元:https://twitter.com/26ers_bp115/status/2046202099516813579,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]