647,000円の請求書が届いた。
すべては、あの日あの一言から始まった。
「休む=辞めるってことだね」
課長は椅子にもたれたまま、私の目も見ずにそう言った。
その声には怒りも感情もなく、ただ冷たい決定事項だけがあった。
前日、私は39度の高熱で立っていられなかった。
玄関を出ようとした瞬間、視界が暗くなり、壁に手をついて座り込んだ。
入社してから初めてだった。
体調不良で会社を休むのは。
電話で何度も謝った。
「申し訳ありません、本当に高熱で……明日には必ず出社します」
電話の向こうは短く「分かった」とだけ言った。
だから翌朝、まだ体が重いまま出社した。
席に着く前に、課長に呼ばれた。
そして告げられたのが、あの言葉だった。
「会社に迷惑をかけた責任は取ってもらう。
今日で解雇ね」
説明も、確認も、弁解の余地もなかった。
私は何も言えないまま、机を片付けて会社を出た。
――それから二日後。
ポストに入っていた封筒を見た瞬間、嫌な予感がした。
会社の名前が印刷されていた。
中を開けた瞬間、息が止まりそうになった。
「損害賠償請求書」
金額:647,000円。
作業服代。
安全靴。
資格取得費。
遅刻による損害。
車両レンタル費、8か月分。
すべて、会社が一方的に算出した数字だった。
その夜、私は震えながら調べ続けた。
そして初めて知った。
労働基準法第16条――賠償予定の禁止。
退職や契約違反を理由に、あらかじめ損害賠償を予定することは違法。
さらに知った。
作業着は会社負担が原則。
資格費用の返還請求は無効とされた判例が多い。
使用していない車両費を請求することも認められない。
読み進めるほど、恐怖は静かに消えていった。
代わりに、冷たい確信が積み上がっていった。
――これは、私の問題ではない。
会社の違法行為だ。
数日後、会社から電話が来た。
「請求書、確認しましたか?」
担当者の声は冷たく事務的だった。
「支払いはいつになりますか?」
私は感情を込めずに答えた。
「確認させてください」
そして、静かに言った。
「まず、労働基準法第16条により、退職を理由とした損害賠償請求は違法です」
一瞬の沈黙の後、相手はすぐに言い返した。
「いえ、これは契約書に基づいた請求です。会社の規則ですので」
私は落ち着いた声で続けた。
「契約書や社内規則であっても、労働基準法に反する内容は無効です」
相手の声が少し強くなる。
「でも実際に会社に損害が出ています。皆さん支払っています」
「遅刻や退職を理由とした賠償予定は、典型的な違法事例です」
私は条文番号をそのまま読み上げた。
電話の向こうの声が、少しだけ詰まった。
「それから、作業服や安全靴は会社負担が原則です。使用済みの費用を全額請求することも認められません」
沈黙が長くなる。
「資格取得費用についても、退職の自由を制限する返還請求は無効とされた判例が多くあります」
相手の声は、もうさっきの強さを失っていた。
「車両レンタル費についても、実際に使用していない期間までの請求は不当です。実費の証明が必要です」
電話の向こうは完全に静かになった。
最初の強い口調は消え、呼吸音だけが聞こえる。
私は最後に、淡々と告げた。
「以上の点から、御社の請求に法的根拠は認められません」
完全な沈黙が流れた。
そして私は、ゆっくりと言った。
「なお、御社による不当解雇および違法請求については、こちらも正式に法的対応を進めます」
電話の向こうからは、何の言葉も返ってこなかった。
ただ、長い沈黙だけが続いた。
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