なんで、“命”より“繁殖”が優先されるんだよ。
ネパール・チトワンで、私は一頭の母ゾウを見た。
鉄鎖に繋がれたまま、ほとんど動かない母ゾウだった。
最初は、足でも悪いのかと思った。
でも違った。
動けないんじゃない。
動かないように、“動けなくされていた”。
現地で話を聞いて、私は言葉を失った。
この施設では、繁殖のために母ゾウを長時間鎖で拘束することがあるらしい。
そして発情した野生のオス象を近づける。
逃げ場なんてない。
拒否もできない。
鎖に繋がれたまま、耐えるしかない。
これを“繁殖”って呼ぶの、本当に気持ち悪かった。
しかもゾウは、人間が思ってる以上に感情の強い生き物だ。
仲間の死を理解する。
家族を覚えている。
深いストレスで鬱状態になることもある。
中には、そのまま衰弱して死ぬ個体もいると言われている。
だから人間は、さらに残酷な方法を使う。
母ゾウの近くに、小象を置く。
母親は子どもを守ろうとするから。
暴れれば、小象が傷つく。
だから動けない。
つまり——
鉄鎖で身体を縛って、
子どもで心を縛る。
ここまでして、まだ「保護活動」と言うのか。
私はその母ゾウの目が忘れられない。
怒っているわけじゃなかった。
諦めていた。
ただ静かに、全部を受け入れるしかないような目をしていた。
周囲では観光客が笑っていた。
「かわいい〜!」
「赤ちゃんゾウだ!」
スマホを向けて、写真を撮っていた。
施設側は「象の繁育に貢献しています」と説明する。
でも、その裏で壊されている母ゾウのことは、誰も見ようとしない。
ゾウは本来、母系社会だ。
年長のメスが群れを率い、子どもたちを守り、家族で生きる。
なのに人間は、その知能も感情もある動物を、“子どもを産む道具”みたいに扱っている。
「種を残すため」?
違うだろ。
観光のためだろ。
金のためだろ。
小象が生まれれば、人が来る。
「感動しました!」ってSNSに上がる。
施設は儲かる。
だから母ゾウがどう壊れていくかなんて、後回しになる。
私はあの日、本当に吐き気がした。
人間って、自分たちの欲望を“優しさ”みたいに見せるのが上手すぎる。
「保護」
「繁育」
「共生」
綺麗な言葉はいくらでも並べる。
でも、本当に守りたいなら、なんで鎖が必要なんだよ。
本当に愛してるなら、なんであんな目をさせるんだよ。
母ゾウは、子どもを守るために動かなかった。
いや。
動けなかった。
その姿を見た時、私は初めて思った。
一番残酷なのは、“暴力”そのものじゃない。
暴力を“必要なこと”として正当化する人間だ。
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