父が亡くなって一年が経った。
私はまだ若く、何も持っていなかった。
父は病気療養のため、亡くなるまで数年間ずっと私と暮らしていた。
私は仕事もせず、父の看病を続けていた。
そして葬儀後、遺産の話を聞かされた。
そこで私は絶句した。
父が残したのは莫大な借金。
マンションは長女の雪へ、預金は次女の彩へ渡され、末っ子の私には何も残されていなかった。
なぜ自分だけ何もないのか。
私は理解できなかった。
絶望したまま毎日を過ごしていたある日。
父の友人だった山田社長から電話が来た。
「たけし、うちの工場で働いてみないか?」
私は迷った。
だが働かなければ生活できない。
結局、その話を受けた。
初めて工場へ行った日。
山田社長は想像以上に厳しかった。
溶接を任されても、私はまともにできない。
「これが溶接か!やり直せ!」
怒鳴られるたび、自分の無力さを思い知った。
それでも社長は私を辞めさせなかった。
「友人の息子だからな」
そう言いながら、昼夜問わず働かせた。
毎日は苦しかった。
褒められたことは一度もない。
そんな頃、姉たちがSNSへヨーロッパ旅行の写真を投稿していた。
私は油まみれの作業服姿のまま、その画面を見つめる。
比べても仕方ない。
そう思いながらも、胸は苦しかった。
さらにある日、長女から連絡が来た。
「母さんの誕生日だから、二十万円ずつ出すことにしたよ」
だが、その時の私の通帳残高は四十万円しかなかった。
返事もできず、その夜、私は倉庫の隅で声を殺して泣いた。
数日後。
工場で作業中、私は足を踏み外して転倒した。
気づけば病院のベッドの上だった。
足首をひねり、しばらく入院が必要だと言われる。
私は不安だった。
このままクビになるのではないか。
その時、病室のドアが開いた。
入ってきたのは山田社長だった。
社長は静かな表情で椅子に座る。
そして、ゆっくり口を開いた。
「たけし。この会社は元々お前のものだったんだ」
私は意味が分からなかった。
すると社長は登記簿を机へ広げた。
「お前の父親は遺言を残していた。五年後、お前が理解できる時が来たら全部伝えろってな」
社長は真っ直ぐ私を見る。
「この会社も、土地も、建物も全部お前のものだ。価値は五十億円ある」
私は言葉を失った。
その瞬間、父の本当の思いに気づいた。
父は簡単に金を渡すのではなく、苦労を経験させ、自分の力で立てる人間にしたかったのだ。
厳しい時間の先に、本当に大切な遺産を残してくれていた。
私は病室で静かに涙を流した。