「私の指定席に座っていた男が、“態度が悪いからどかない”と言った。」
発車まで、あと47秒だった。
青い新幹線の座席の前で、私は立ち尽くしていた。
目の前には、私の指定席。
そしてそこに、まるで最初から自分の席であるかのように座っている知らない男。
私は一度、深呼吸してから声をかけた。
「すみません、そこ…私の指定席なんですが。」
男はゆっくり顔を上げた。
そして、私を見て言った。
「その言い方、感じ悪いね。」
一拍おいて、こう続けた。
「だから、今はどかない。」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「…え?」
「態度ってあるだろ。人にお願いする態度。」
男はそう言って、座席にさらに深く背中を沈めた。
通路の真ん中で、私は立ったまま。
後ろには乗客が次々と乗り込んできて、流れが止まり始める。
すると、後ろの方から声が飛んだ。
「ちょっと、通路塞がないでよ。」
振り返ると、事情を知らない乗客がこちらを見ている。
男はその空気を察したのか、急に声を大きくした。
「ほら見ろよ。通路塞いでるじゃないか。」
そして、わざとらしく肩をすくめて言った。
「公共の場なんだからさ、そんな怒った顔で騒ぐなよ。」
その言い方は、まるで私が問題を起こしている人間みたいだった。
すると、横から別の声が聞こえた。
「席くらいで騒ぐなよ。」
私は一瞬、言葉を失った。
事情を知らない人たちが、私を見ている。
まるで、私がトラブルを起こしているかのように。
男は、ニヤッと笑った。
その顔を見て、私は静かにスマホを取り出した。
そして、画面をそのまま男の目の前に向けた。
電子チケット。
座席番号がはっきり表示されている。
今、男が座っているその席の番号と、完全に一致している。
男の視線が一瞬止まった。
けれど、次の瞬間、肩をすくめて言った。
「だから?」
「そんなことで得意?」
その言い方に、車内の空気が少しだけざわついた。
私はスマホを下ろし、座席の横にあるボタンを押した。
車掌呼び出しボタン。
数十秒後。
車掌が通路を歩いてきた。
「どうされましたか?」
私は落ち着いて言った。
「この席、私の指定席なんですが。」
そして、もう一度スマホを見せた。
車掌はチケットを確認し、男を見た。
「こちらの席は、このお客様が予約されています。」
男は、少しだけ眉を動かした。
しかし、すぐに言い返した。
「いや、ちょっと座ってただけだよ。」
「そんな大げさにしなくてもいいだろ。
」
その瞬間、車掌の声が少しだけ硬くなった。
「指定席の占有は迷惑行為になります。」
車内の空気が一瞬で静かになった。
さっきまで私を見ていた乗客たちが、黙った。
男は舌打ちをして、ゆっくり立ち上がった。
私はそのまま席に座った。
青い座席のクッションが、やっと背中に触れる。
ふと横を見ると、足元には私のバッグ。
そして、ペットボトルのほうじ茶。
さっきまで手に持っていたのに、置いたままだった。
発車ベルが鳴った。
ドアが閉まる。
列車がゆっくり動き始めた。
――これで終わり。
そう思った。
だが、次の瞬間。
男は、私の横の通路に立ったままだった。
腕を組み、見下ろすように言った。
「そんなことで得意になってんの?」
私は顔を上げた。
男は続けた。
「態度が悪いんだよ、あんた。」
さっきまで周りに聞こえるように言っていた声が、今度は少し低くなっていた。
私はゆっくり口を開いた。
「まだ通路塞ぐなら、通報します。」
声は大きくなかった。
でも、通路にいた車掌には聞こえた。
車掌はすぐ振り返った。
そして男に言った。
「お客様。」
「これ以上通路を塞ぐ行為はおやめください。」
一拍置いて、こう続けた。
「続く場合は、対応を取らせていただきます。」
男の顔色が変わった。
さっきまでの余裕は、もうなかった。
数秒の沈黙。
そして男は、何も言わずに通路の奥へ歩いていった。
車内は、急に静かになった。
さっき「席くらいで騒ぐなよ」と言っていた人も、誰も何も言わない。
私は背もたれに体を預けた。
窓の外の景色が、ゆっくり流れていく。
さっきまでの騒ぎが、嘘みたいだった。
青い座席の横で、ほうじ茶のボトルが小さく揺れていた。
引用元:,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]