最初は、本当に些細なことだった。
ディズニーでカリブの海賊に乗っていた時のこと。
前の席に座っていた女性が、ずっと髪を触っていた。
ただそれだけなら、気にしなかったと思う。
でも、そのまま後ろにバサッと流す。
一回じゃない。
何度も、何度も。
そのたびに、髪がこちら側に入ってくる。
最初は「仕方ないか」と思っていた。
アトラクションだし、多少のことはある。
でも次第に、それが無視できないレベルになっていった。
髪の毛が、
ちょうど子どもの顔の前まで来る。
しかも、手すりの外まで普通に出ている。
子どもは避けようとして、少し体を引いていた。
それでも、また当たる。
また来る。
何度も、繰り返される。
さすがにおかしいと思った。
私は一度、小さな声で言った。
「すみません、髪当たってます」
でも、アトラクションの音が大きくて、
届いていない様子だった。
それなら仕方ない。
そう思って、もう一度。
少しだけ声を大きくした。
「すみません、当たってます」
女性が一瞬だけ振り返った。
でも、軽く会釈しただけ。
そしてまた、同じことを繰り返す。
……いや、絶対気づいてるよね?
ここで、少しイラっとした。
でもまだ我慢した。
子どももいるし、トラブルは避けたい。
でも——
次の瞬間、また髪が顔に当たった。
しかも、はっきりと。
その時、子どもが少し顔をしかめた。
その表情を見た瞬間、
何かが切れた。
もう無理だと思った。
私はその髪を掴んで、
そのまま強く引いた。
相手が一瞬、体を引く。
そして振り返る。
「は?」
明らかに苛立った顔だった。
睨んでくる。
でも私は、そのまま睨み返した。
そして、わざと周りに聞こえる声で言った。
「気づかないんですか?」
その一言で、
空気が一気に変わった。
周りの人の視線が、
一斉にこちらに集まる。
さっきまで暗くて静かだった空間が、
急に“人のいる場所”になった感じがした。
相手は一瞬言葉に詰まった。
でも、すぐに言い返してきた。
「ちょっと、何するんですか」
その言い方に、さらにイラっとした。
私はそのまま言った。
「さっきからずっと、子どもの顔に当たってます」
その瞬間だった。
空気が、完全に変わった。
さっきまで曖昧だった視線が、
はっきりとこちら側に寄る。
誰かが小さく言った。
「確かに当たってたよね」
別の人も、ちらっとこちらを見る。
明らかに、状況が共有された。
もう誤魔化せない空気だった。
相手の表情が変わる。
視線が泳ぐ。
さっきまでの強さが消える。
そして、小さく言った。
「……すみません」
そのまま、髪を前にまとめた。
それで終わりだった。
本当に、それだけだった。
でも——
あの一瞬で全部変わった。
私はその場で、少しだけ息を吐いた。
正直、怖かった。
あのまま誰も何も言わなかったら、
私が悪者になっていた可能性もある。
でも、
あのまま我慢していたら、
たぶんずっと引きずっていたと思う。
子どもは、何もなかったみたいに前を見ていた。
さっきまでのことなんて、
もう忘れているようだった。
それを見て、
少しだけ安心した。
そして思った。
我慢しても、相手は気づかない。
でも、言えば変わることもある。
そして——
見ている人は、
ちゃんと見ている。
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