朝、いつものように家を出た。
まだ空気はひんやりしていて、通学の小学生たちの声が遠くから聞こえてくる。
今日は少し急いでいた。
駅まで自転車で行かないと間に合わない時間だ。
「昨日タイヤ、ちょっと怪しかったな…」
そう思いながら、自転車置き場に入る。
すると。
自分の自転車のカゴに、白い紙が置かれているのが見えた。
「……え?」
一瞬、足が止まる。
チラシ?
広告?
いや、違う。
A4のコピー用紙。
しかも、きれいに折られている。
誰かがわざわざ置いた感じだった。
嫌な予感がした。
私は周りを見回す。
誰もいない。
朝の住宅街。
静かすぎる。
胸の奥が少しザワッとする。
ゆっくり紙を手に取った。
そして、書いてある文章を読む。
朝方 困ってたみたいなので
暇なオヤジが
パンク修理しておきました。
空気圧が完全ではないので
速やかに補充した方が良いと思う。
「ありがたい」と
「恩」に思ったら
家族でも誰でもいいので
何か一つ
「恩を返して」下さい。
暇なフーセンおじさん
読み終わった瞬間。
背中にゾワッと寒気が走った。
「……え、怖すぎるだろこれ」
思わず声が出た。
昨日の夜を思い出す。
帰宅した時、確かにタイヤが少し柔らかかった。
「あれ、パンク気味か?」
とは思った。
でも暗かったし、
「明日見ればいいか」と思ってそのまま停めた。
つまり。
この自転車。
夜の間に誰かが触っている。
しかも。
パンク修理までしている。
私はしゃがみ込んでタイヤを触った。
指で押す。
……固い。
昨日より明らかに固い。
間違いない。
本当に修理されている。
「マジかよ……」
私は思わず周りを見回した。
住宅街の自転車置き場。
朝の静けさ。
でも頭の中では、
とんでもない光景が再生されていた。
真夜中。
誰か知らないオジサンが。
私の自転車の前にしゃがみ込み。
暗い中で。
タイヤを外して。
黙々と。
修理している。
想像した瞬間。
「いや怖い怖い怖い怖い」
心の中で連呼する。
善意なのか。
それとも。
ただのヤバい人なのか。
判断がつかない。
しかも最後の一文。
「恩を返して下さい」
いやいやいや。
何を?
どこに?
どうやって?
しかも。
「家族でも誰でもいいので」
範囲広すぎだろ。
つまりこれは。
「この恩を、どこかで誰かに返せ」
ということらしい。
……。
壮大すぎる。
私は紙を見ながら、思わず笑ってしまった。
怖い。
でも。
ちょっとだけ、いい話でもある。
タイヤをもう一度押す。
確かに直っている。
ちゃんと。
知らない誰かが。
ただの善意で。
私はゆっくり立ち上がった。
紙を折ってポケットに入れる。
そして小さくつぶやく。
「ありがとう……フーセンおじさん」
でも正直に言う。
頼むから。
次からは。
普通に声かけてくれ。
朝、自転車のカゴに
謎の手紙と
パンク修理済みタイヤがあるのは
普通に
ホラーなんだよ。