「風、ちょっと弱いですね。」
それだけだった。
ただの独り言のような、軽い一言だった。
仕事帰り、いつもの銭湯。
古い木のロッカー、少し色あせた料金表、瓶コーラの自販機。
派手ではないけれど、落ち着く場所だった。
湯上がり、更衣室のドライヤーの前に立つ。
風が弱い。
別の台に変えても、やはり弱い。
後ろには人が並び始めていた。
「風、弱いな……」
誰かに向けた言葉ですらなかった。
それから三日後。
更衣室に入ると、ドライヤーが透明なケースに入れられ、
そこに貼り紙があった。
「一部のお客様からの“心無い声”を受け、本日よりドライヤーは有料(100円)とさせていただきます。何卒ご理解ください。」
立ち尽くした。
“心無い声”。
あの一言が、
そう呼ばれたのだと、すぐに分かった。
更衣室は妙に静かだった。
小銭を探す人。
濡れたまま髪を結ぶ人。
何も言わず、外に出ていく人。
帰宅後、SNSで店の投稿を見た。
コメント欄は二つに割れていた。
「無料に文句言う方が悪い」
「風が弱いのは事実でしょ」
「入浴料に含まれてると思ってた」
「改善点を“心無い”って切るのは違う」
店側の返信も目に入った。
「無料サービスを当たり前だと思う風潮こそが問題です。」
その一文を読んだとき、
“客”ではなく、“わがままな存在”として見られている気がした。
それから少しずつ、客足は減った。
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