あの日、私はようやく覚悟を決めて夫に聞いた。
「ねえ、不動産の件だけど……どういうこと?」
最近、家のことでおかしいことが続いていた。私の知らないところで物件の話が進んでいたり、私の行動を細かく把握しているような発言をされたりする。
最初は「気のせいかな」と思っていた。
でも、どう考えてもおかしい。
ある日、夫がふと口にした言葉が引っかかった。
「今日、あのスーパー行ったでしょ?」
その日は、誰にも言っていない。スマホで位置情報を共有しているわけでもない。
なのに、どうして知っているのか。
その時から、ずっと胸の奥に引っかかっていた。
そしてついに、その疑問を口にした。
「私のこと、監視してるの?」
その瞬間だった。
夫の表情が、明らかに変わった。
さっきまで普通に会話していたのに、突然、顔が歪んだ。
「……なんだそれ」
低い声でそう言ったと思った次の瞬間、
ガンッ!!
大きな音が家の中に響いた。
夫がテーブルの上にあった物を、思いきり床に叩きつけたのだ。
「お前、俺を疑ってんのか?」
声のトーンが、完全に変わっていた。
私は思わず一歩後ろに下がった。
でも、それが引き金だったのかもしれない。
夫は突然、洗面所の方へ歩いていき、
次の瞬間――
ガシャーン!!
鏡が割れる音が響いた。
私は一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
洗面所に駆け寄ると、
そこには信じられない光景が広がっていた。
洗面台の大きな鏡が粉々に割れ、床一面にガラスの破片が散らばっている。
夫はそのまま、洗面台の棚や物を次々と床に投げつけていた。
「ふざけんなよ!!」
ガンッ!!
棚の扉が蹴り飛ばされる。
ドンッ!!
シンクの下の扉が外れ、床に転がる。
私は言葉を失った。
ただ立ち尽くしていた。
正直、これまでにも夫のモラハラ気味な言動はあった。
怒鳴ることもあったし、無視されることもあった。
でも――
こんなことは、初めてだった。
これはもう、ただの夫婦喧嘩じゃない。
そう思った瞬間、
背筋がぞっとした。
子どもたちのことが頭に浮かんだ。
もし、これが子どもの前で起きていたら?
もし、ガラスが飛んできていたら?
そんなことを考えた瞬間、
急に現実味が押し寄せてきた。
私は震える手でスマホを握った。
夫はまだ洗面所で物を蹴り飛ばしている。
ガラスの破片が床に広がり、歩くたびにジャリッと音がする。
その光景を見て、私ははっきり思った。
これはもう、
感情的とかいうレベルじゃない。
本気で――
身の危険を感じた。
その夜、私は子どもたちを連れて家を出た。
必要なものだけをバッグに詰め、とにかく外に出た。
ホテルを探し、なんとか部屋を確保した。
部屋のドアを閉めた瞬間、
全身の力が抜けた。
子どもたちは事情がよく分からないまま、静かにベッドに座っていた。
私はその姿を見て、
ようやく涙が出た。
「ごめんね」
思わずそう呟いた。
でも、これでよかったのかもしれない。
あのまま家にいたら、何が起きていたか分からない。
新しい家の契約が終わるまでは、しばらくホテル生活になる予定だ。
正直、不安はある。
これからどうなるのかも分からない。
でも、ひとつだけははっきりしている。
あの家に、あのまま居続けることはできなかった。
洗面所の床に散らばったガラスの破片。
あの光景を思い出すたびに、
胸の奥がざわつく。
そして、同時に思う。
あの瞬間、家を出る決断をしていなかったら――
きっと、もっと取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
今はただ、
子どもたちが無事であることだけが救いだ。