ホイールキャップを少し擦っただけだった。
レンタカーを返却して、チェックを受けているときのこと。
スタッフがしゃがみ込んでタイヤを見て、ふと指を止めた。
「ここ、傷入ってますね」
見れば、確かにうっすらと擦れた跡。
でも、言われなければ気づかない程度のものだった。
「あ、すみません」
軽く謝れば終わる話だと思っていた。
その瞬間だった。
「こちら、修理費用で7万円になります」
一瞬、理解が追いつかなかった。
「……え?」
思わず聞き返すと、スタッフは淡々と繰り返した。
「規約に基づいた請求になりますので」
7万円。
頭の中で数字が浮いていた。
この程度で?
どう考えてもおかしい。
でも同時に、こうも思ってしまった。
「レンタカーって、こういうものなのか?」
相手は業者。
こちらは素人。
その差を突かれると、一気に自信が揺らぐ。
さらに追い打ちをかけるように言われた。
「本日中にお支払いいただけない場合、手続きに進みます」
圧だった。
冷静に考えればおかしいのに、
その場の空気で“払わなきゃいけない気”にさせてくる。
実際、少し怖かった。
トラブルになるのも面倒だし、
時間も取られる。
だから一瞬、本気で払おうとした。
でも、踏みとどまった。
「ちょっと確認していいですか?」
そう言ってスマホを取り出した。
その場で検索した。
同じ型のホイールキャップ。
すぐに出てきた。
1,200円。
別のサイトでは4,439円。
思わず画面を見直した。
何度見ても、7万円にはならない。
私はそのまま画面をスタッフに見せた。
「これ、4,000円ですよね?」
スタッフの顔が一瞬だけ止まった。
だが、すぐに言葉を返してきた。
「いえ、これは部品代だけですので。交換作業や管理費用などが——」
私はその言葉を遮った。
「明細、出せます?」
一瞬、沈黙。
さらに続けた。
「どういう内訳で7万円になるのか、全部見せてもらえます?」
スタッフの表情が変わった。
さっきまでの“慣れた対応”ではなくなっていた。
そして私は、もう一つ付け加えた。
「あと、このやり取り、記録してます」
スマホを軽く持ち上げる。
録音していることを示した。
空気が変わった。
明らかに。
スタッフは一歩引いた。
「……少々お待ちください」
そう言って奥に消えた。
数分後、別の男性が出てきた。
おそらく責任者だろう。
「今回の件ですが……」
声のトーンが違った。
さっきまでの圧は、完全に消えていた。
「確認したところ、請求内容に誤りがあった可能性がありまして」
来た、と思った。
私は何も言わずに聞いた。
「今回に関しては、請求はなしとさせていただきます」
完全撤回だった。
あの7万円は、一瞬で消えた。
私は静かに言った。
「最初からそうしてください」
相手は頭を下げた。
店を出たあと、少しだけ手が震えていた。
もし、あのまま何も調べなかったら。
もし、その場の空気に流されていたら。
7万円は、そのまま払っていた。
しかも納得もできないまま。
今回、はっきり分かった。
こういう請求は、
“知らない人”を狙っている。
“その場で判断する人”を狙っている。
“怖くて断れない人”を狙っている。
逆に言えば、
その場で調べて、止まるだけで流れは変わる。
そしてもう一つ。
「規約です」
この言葉は、万能ではない。
中身を見せられない“規約”は、ただの言い訳だ。
私はスマホをポケットにしまいながら思った。
あの7万円は、最初から存在していなかった。
ただの“言い値”。
だからこそ、最後に一つ。
その場で払うな。必ず一度、調べろ。
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