あの日のことを思い出すたび、私はまだ少し笑ってしまう。
いや、笑いごとじゃない。
でも、あまりにもひどすぎると、人間って逆に笑うしかなくなるのだと知った。
その日、職場はいつも通りだった。
コピー機はうるさいし、電話は鳴るし、誰かがどこかで段ボールを引きずる音がしていた。空気は乾いていて、事務所独特の紙とインクの匂いが鼻に残る。私はいつものように仕事を片づけながら、昼までに終わらせるべき雑務を頭の中で順番に並べていた。
そこへ、ひとりの従業員が、なんとも言えない顔で戻ってきた。
青ざめているわけでもない。
怒り狂っているわけでもない。
ただ、「信じられないものを見た人間」の顔だった。
私は手を止めて、その人を見た。
「どうしたの?」
そう聞くと、彼はしばらく黙っていた。
それから、ため息をひとつ落として、低い声で言った。
「前に働いてた会社から、源泉徴収票が届いたんです」
それだけなら、まだ普通だ。
年末だとか退職後だとか、そういうタイミングなら、必要書類が郵送されてくることはある。
でも、彼の顔は、どう見ても「普通の郵便」では終わらない顔をしていた。
私は嫌な予感がした。
「……届いたって、どういうふうに?」
彼は一瞬、遠くを見るみたいな目をした。
思い出したくもないものを、無理やり頭の中から引っ張り出してくるような顔だった。
「営業所止めです」
「は?」
「しかも、着払いで」
「は?」
私は思わず二回言った。
いや、二回で済ませた自分を褒めたいくらいだった。
彼は続けた。
「それで、取りに行ったら……」
そこまで聞いた時点で、私はもう嫌な映像が頭に浮かんでいた。
だが、現実はだいたい想像を超えてくる。
しかも、こういう種類の話に限って。
「160センチくらいある段ボールに、クシャクシャの源泉徴収票が一枚だけ入ってました」
私は沈黙した。
一瞬、周りの音が遠のいた気がした。
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