その張り紙を見た瞬間、思わず足が止まった。
店の入口のガラスに、一枚の紙が貼られていた。
「箸、ティッシュを捨てて頂き、ありがとうございます。
お客様の数秒のご協力が唯一の希望です。」
一見すると、よくあるお願いの張り紙だ。
トイレなどにある「いつも綺麗にご利用いただきありがとうございます」と似た、やんわりした言い方。
ただ、その紙の横にはゴミ箱が置かれていて、赤い矢印がそこを指している。
つまり――
食べ終わった後の箸やティッシュをここに捨ててください。
それだけの話だ。
私はその店で昼食を取ることにした。
店内は昔ながらの定食屋で、近くに学校があるせいか学生の利用も多いらしい。
席に座って料理を待っていると、ふと奥のテーブルが目に入った。
まだ片付けられていない席だった。
そして、その状態に思わず眉をひそめた。
テーブルの上には丸めたティッシュや割り箸の袋。
さらに、床にも紙くずが落ちている。
かなり散らかっていた。
料理を運んできた店主に、私は聞いた。
「入口の張り紙って、あれが理由なんですか?」
店主は苦笑して、少しだけ肩を落とした。
「ええ……まあ、そうですね。」
そして小さな声で続けた。
「最近、近くのある高校の学生がよく来るんですよ。」
私は黙って聞いた。
「最初は普通だったんですがね。」
だが最近は――
食べ終わった後のテーブルが、毎回ゴミだらけになるという。
割り箸はそのまま。
ティッシュは丸めて床へ。
ゴミ箱は目の前にあるのに、誰も捨てない。
店主は最初、やんわりお願いした。
「ゴミはゴミ箱に捨ててくださいね。」
すると学生たちは笑いながら言ったらしい。
「えー、めんどくさい。」
それでも店主は我慢していた。
だが、ある日ついに限界が来た。
その日も学生グループが来店し、食べ終わるとテーブルはゴミだらけ。
店主が言った。
「ゴミは捨ててください。」
すると一人の学生が椅子に座ったまま言った。
「別に店の仕事でしょ?」
その瞬間、店主の表情が変わった。
「……もういいです。」
学生たちは不思議そうに見た。
店主ははっきり言った。
「これからは、うちの店には来なくていいです。」
私は思わず聞いた。
「それって……出禁ですか?」
店主はうなずいた。
「ええ。ある高校の学生は入店お断りにしました。」
「張り紙には書いてませんけどね。」
私は少し驚いた。
すると店主は言った。
「学校名を書いたら、また面倒になるでしょう。
」
「でも理由は、あの張り紙の通りです。」
私は入口の紙を思い出した。
“数秒のご協力が唯一の希望です。”
本当に、それだけの話だ。
その時だった。
店のドアが開いて、数人の高校生が入ってきた。
店主が前に出る。
「ごめんなさい。学生さんは今お断りしてるんです。」
一人の学生が顔をしかめた。
「は?なんで?」
店主は静かに言った。
「理由は分かっていると思います。」
すると学生の一人が声を上げた。
「それ差別じゃない?」
別の学生も言った。
「同じ高校でもちゃんとしてる人いるし。」
店内の空気が少し張りつめた。
すると、カウンター席にいた年配の男性が振り向いた。
「差別?」
男性はゆっくり言った。
「ゴミ捨てるだけだろ。」
店内が静かになる。
男性は続けた。
「数秒だろ?」
「それすらできないなら、来る資格ないだろ。」
別の客も言った。
「ゴミくらいって言うなら、捨てればいいじゃん。」
学生たちは言葉を失った。
さっきまで強気だった表情が消えていく。
そして誰かが小さく言った。
「……行こうぜ。」
結局、学生たちはそのまま店を出ていった。
店主は深く息をついた。
私は食事を終え、テーブルのゴミをゴミ箱に捨てた。
帰り際、店主がぽつりと言った。
「本当はね、普通に来てくれればいいんですよ。」
その言葉が妙に印象に残った。
店を出ると、入口の張り紙がまた目に入った。
「お客様の数秒のご協力が唯一の希望です。」
本当に、たった数秒のことだ。
でも、その数秒を面倒がる人がいるから――
こういう張り紙が生まれるのかもしれない。