バスに乗っているとき、隣に座った男性の膝が私の足に何度も触れてくる。最初はただの偶然だと思っていたけど、時間が経つにつれて、それが無意識のうちに繰り返されていることに気づいた。足が当たるたびに、私は自然に足を閉じるけど、またすぐに戻ってきて、何度も繰り返す。そのたびに嫌な気持ちが湧いてきて、ますます不快感が増していった。
私の膝や足が彼の膝に触れるたびに、心の中で「何これ?」という言葉が渦巻く。私がこんなにも不快なのに、なぜ彼は自分のスペースを広げることを意識しないのか?そのことに対して怒りが込み上げてくる。最初は我慢していたけど、だんだんとその感情が爆発しそうになった。
彼は全く意識していないようだった。それでも、私は彼に少しでも気づいてほしかった。「自分のスペースを守ろう」とする思いやり、他人の感覚を尊重する心があれば、こんなことにはならなかったはずだ。だからこそ、私は次第に気持ちが抑えきれなくなった。
「本当に、こういうのを我慢しなきゃいけないのか?」
心の中で反発が生まれ、気づけば私は無意識のうちに体を動かしてしまっていた。彼の足が当たらないように、体を少しずらし、さらにもう一度彼の方に目を向けて、思わず言ってしまった。
「ちょっと、足が当たってるんですけど、もう少し閉じてください。」
その言葉が出た瞬間、周りの空気が一瞬静まりかけた。彼は驚いた顔をして、少し照れくさそうに「すみません、気づきませんでした」と言って、すぐに足を閉じた。
“こんなことで言わなきゃいけないのか?” 私はさらに心の中で自問自答していた。なぜ私は最初から言わなかったのか、どうして我慢していたのか。言わなければ、私はずっと我慢して過ごしていたはずだ。そして、今、言ってしまったことで、彼がどれほど無神経に行動していたのかに気づいてくれるかもしれない。しかし、こんなことで気づかせなければならない自分の方が、逆に情けなく感じた。
その後も数分間、バスは揺れ、私は内心の怒りが収まらないのを感じていた。彼が足を閉じた後も、私は心の中でその場面を何度も繰り返し、やり場のない気持ちを抱えていた。
でも、ふと思った。私が声を上げなければ、他の人も、また同じようなことが続くかもしれない。声を上げることにどれほどの勇気が必要だったか、考えると、少しだけ胸が軽くなった。
その瞬間、「私はもう我慢しない。」 そう心に誓った。どんな些細なことであっても、もしそれが自分の気持ちを害することであれば、必ず声を上げて、相手に伝えなければならない。
社会の中で私たちは、どこかで「我慢」が美徳とされることがある。
しかし、私はそうじゃないと思う。自分の感情を無視し、相手に合わせてばかりいて、結局自分が不快な思いをするのは、何のためになるのか。自分のことを大切にし、他人に対しても尊重を求めることが、私たち全員にとって必要なことではないだろうか。
他人の不注意な行動に対して、私たちは本当に我慢し続けなければならないのだろうか?
私がこの場で声を上げたことが、もし誰かにとっての“教訓”になったら、それが少しでも社会を変えるきっかけになればいいと思う。それができるなら、私はこれからも声を上げ続ける。
しかし、もし次にまた同じようなことが起きたら、どうするべきなのか。彼のように、無自覚に他人のスペースを侵害する人は、意外と多いのではないだろうか?
自分の感情を大切にすることは、果たして今後、もっと広がっていくべきことではないだろうか。
このバスの中の出来事は、私にとって小さな一歩に過ぎないかもしれない。しかし、声を上げることの大切さを再認識した、私にとっての重要な瞬間だった。そして、これからも私は、周囲の小さな不満に対して声を上げる勇気を持っていたい。