昨日、私は高速バスに乗っていた。朝早く、日差しが差し込む中、心地よく座席に身を沈めていたんだ。長時間の移動だけど、まぁ、車窓から景色でも見ながらリラックスして過ごせるだろうなと思っていた。
ところが、その平和な時間はすぐに破られた。
前の席に座っていた男性が、突然、足を前の座席の肘掛けに投げ出してきたんだ。裸足で。完全に無防備で、周囲の人々に一切気を使う気配もない。私はその瞬間、思わず目を見開いてしまった。信じられるか?公共の場で、他人の座席の肘掛けに足を置くなんて。
私は無意識にその足に視線を固定してしまった。他の乗客も同じようにその足に目を奪われているのがわかった。でも、誰も何も言わない。私は怒りが込み上げてきて、座席に座ったまま、手を握りしめて我慢していた。
でも、それが一体どうして耐えられるのだろう?私の足も、他の乗客の足も、同じようにバスの中で使っていいものじゃないはずだ。それでも、なぜその人は平然と裸足で、他人の座席に足を置くことができるのか。自分だけの快適さを求めて、周りの不快をまったく気にしないその態度に、私は怒りがこみ上げてきた。
私は心の中で決意した。「このまま黙っているわけにはいかない」
「すみません、足を引っ込めてもらえませんか?」
言葉にしてみると、自分でも少し震えたけれど、周囲の乗客もその一言を聞いて、少し反応した。数人がその男性を見ている。でも、その男性は私の方を見て、何とも言えない表情で答えた。
「は? どうして?」
その一言に私はさらに怒りを感じた。こんなこと言われて、黙っているわけにはいかない。私はそのまま立ち上がり、大声で言った。
「公共の場で、他人の座席に足を乗せるなんて、非常識すぎませんか? ここはあなた一人の場所じゃないんですよ!」
その瞬間、周りの乗客が静かに、でも確実に私を見ているのがわかった。私の発言が思った以上に大きく響いたからだ。でも、男性はまったく反省している様子はない。「ただの足だろ? そんなことで文句言うなんて、おかしいよ。」
私の怒りが爆発した。なぜ、こんなにも自分の行動に無自覚でいられるのか。なぜ、こんなにも他人の感情を無視できるのか。その男性は全く自分が何をしているかを考えたことがないのだろう。
思わず、私は言ってしまった。
「本当に自分がどれだけ迷惑をかけているか、わかってますか? あなたの足なんて、誰も見たくないし、ましてや座席に乗せられるなんて嫌でしかない!」
周りの空気は完全にピリピリとしたものになった。誰もが私とその男性のやり取りを見守っている。男性はムッとした顔で私を睨みつけた後、ようやく足を引っ込めた。しかし、それでも彼の表情にはどこか納得していない様子が見え隠れしていた。
私はその瞬間、心の中で思った。この社会、もっと自分の行動が他人に与える影響を考えるべきだ。
個人の快適さが他人の不快を生む可能性があることに、なぜ気づかないのか。
その後、バスの運転手が来て、事態は収拾された。しかし、心の中で私は不快感を感じていた。単なる足を置いただけのことで、ここまで大きな衝突になるのだろうか? でも、気づいたのだ。この小さな出来事こそが、公共空間における「他人の尊重」の重要性を象徴しているのだ。
私たち一人一人が他人を思いやることが、こうした些細な問題を防ぐために何より大事だ。自分の快適さだけを優先するのではなく、周りの空気を読み、共存することが必要なんだ。そう気づかされる瞬間だった。
この出来事を通じて、私は公共の場での行動が、どれほど大切なものかを強く実感した。もし今後、またこんなことが起きたら、私はためらわず声を上げようと思う。そして、少しでも他人を尊重する社会を作るために、もっと自分の行動に責任を持とうと心に誓った。