昨日、私はまた、信じられない光景を目にした。電車の中で、前の席に座っていた男性が、なんと靴を脱いで、足を堂々と前の座席の肘掛けに乗せていたのだ。周りには誰もその行動に対して口を出さず、皆一様に黙ってそれを見守っている。私はその瞬間、体中に怒りが込み上げるのを感じた。
この男性は、他人がどう思うかなど全く気にせず、自分だけの「自由」を全開にしている。周りの人々が不快に思っていることにすら気づかず、無神経に足を広げるその態度には、許しがたいものを感じた。
私はその場で黙っていられなかった。周りの乗客は誰も声を上げず、まるでそれが許されることのように、皆が黙認している。だが、私は違う。誰も言わないなら、私が言わなければならないと感じた。
「すみません、その足をどかしていただけますか?」
私の言葉が静かな車内に響いた。誰もが私の言葉に反応したように感じたが、男性は私に顔を向け、冷たく言った。
「なんだよ、そんなに神経質になって、別にいいだろ。」
その瞬間、私の心の中で怒りが爆発した。彼は自分の行動が他人にどれだけ不快感を与えているか、まるで分かっていない。
私は次にこう言った。
「あなたが快適でいることが、周りの人々の不快感を無視していい理由にはならない。ここはあなたの私室じゃない。」
男性は冷笑を浮かべ、足をどけようともしない。それどころか、さらに挑発的な態度で「気にしすぎだろ、誰も文句言ってないじゃないか」と言った。
この言葉に私は完全に耐えられなくなった。自分の自由が、他人の尊厳を侵害していることを理解しようともしない、その姿勢に対して、私はもう耐えきれなかった。
「あなたの自由が、他の人々の不快を生んでいる。あなたの行動はただの自己中心的なエゴだ!公共の場では、あなたの自由が他人の不快に繋がることを理解しろ!」
その言葉が車内に響き渡った。男性の顔色が少し変わったが、彼は依然として無頓着な態度を崩さなかった。私の怒りが頂点に達した瞬間、周りの人々がようやく注目し始めたが、誰も私に賛同することなく、ただ静かにその場に立ち尽くしていた。
私は彼に対して、自分の立場を絶対に譲らないと決めた。しかし、状況は悪化する一方だった。男性はさらに挑発的な態度を取ることで、私を完全に無視し続け、周囲の無関心さもあいまって、車内の空気はどんどん冷たくなった。
運転手が乗ってくることを期待していたが、何も変わらなかった。運転手は無視して、何もせずにそのまま運転を続けていた。私の抗議が何の効果も生まないことに、深い失望感を覚えた。
結局、男性は何も反省することなく、足を元の場所に戻した。それでも、私はこの時、心の中で大きな疑問を抱えていた。なぜ、公共の場で自分の行動が他人に与える影響を考えない人がこれほど多いのか?なぜ、誰もがただ黙って見ているだけで、行動を起こさないのか?
私は今、この出来事を振り返りながら考える。
私が声を上げたことで、その男がどこかで自分の行動を反省したかもしれない、でも、結局その場で状況が改善されなかったという現実に、無力感を覚える。それでも、私はこれからも、公共の場での礼儀と尊重を守るために声を上げ続けなければならないと決意した。