朝、テーブルの上に置かれたレシートを何気なく手に取った瞬間、私は固まった。
「……合計、4181円???」
思わず二度見した。いや、三度見した。
パン屋のレシートだ。
カレーパン、ドーナツ、ポテト、プリン……そして数量の欄。
「……22点」
その数字を見た瞬間、血圧が一気に上がった気がした。
いやいやいやいや。
ちょっと待って。
昨日、夫が「明日の朝ごはん買ってくるわ」って言って、子どもと一緒にパン屋に行ったのは知ってる。
でも、それって普通、2〜3個とか、多くても家族分で5〜6個とかじゃないの?
22個って何???
ここパン屋だよね?業務用じゃないよね?
一瞬、「レジの打ち間違いか?」とも思った。
でも明細を見る限り、ちゃんと「2個×」「4個×」と細かく書かれている。
……つまり、間違いじゃない。
私は静かにレシートをテーブルに置いた。
その手は、わずかに震えていた。
(これは、ちゃんと話さないとダメなやつだ)
頭の中でスイッチが入る。
「家庭の金銭感覚とは何か」
「無駄遣いを防ぐにはどうすべきか」
「計画的な消費とは」
完璧な“教育モード”が起動した。
そのとき、リビングでテレビを見ていた夫に声をかけた。
「ねえ、これ……どういうこと?」
レシートを見せると、夫は一瞬だけ目をやって、そしてあっさり言った。
「ああ、それ?昨日のパンだよ」
「……いや、それは分かってる」
私は笑顔で返す。でも目は笑っていない。
「22個って、どういうこと?」
夫は少し考えるような顔をして、こう言った。
「え、だって……多い方がいいかなって」
(いや、“かなって”じゃない)
ツッコミが喉まで出かかったが、ぐっと飲み込む。
ここで感情的になってはいけない。
冷静に、論理的に、説明するんだ。
私は深呼吸して、ゆっくり口を開いた。
「いい?パンってね、保存も限界があるし、食べきれないと無駄になるの。だから――」
そこまで言いかけたとき、ふと違和感に気づいた。
……あれ?
キッチン、静かすぎない?
私はゆっくり立ち上がって、台所を覗いた。
パンが置いてあるはずの場所。
昨日の夜に買ってきたはずの袋。
――ない。
ひとつも、ない。
「……え?」
思わず声が漏れた。
ゴミ箱を見る。
パンの袋が、いくつも丸めて捨てられている。
嫌な予感がした。
私はそのまま子どもに聞いた。
「ねえ、昨日のパン……どれくらい食べたの?」
子どもは何の迷いもなく、こう答えた。
「ぜんぶ!」
一瞬、思考が止まった。
「……え?」
「おいしかったから、パパといっぱい食べた!」
満面の笑みで言われて、私は言葉を失った。
全部?
……全部って、22個?
私はゆっくり夫の方を振り向いた。
夫は少しだけ気まずそうに笑っている。
「いや、なんか止まらなくてさ……」
その瞬間。
――プツン、と何かが切れた。
……はずだった。
でも次の瞬間、なぜか私は笑っていた。
「いや、待って……22個だよ??」
「うん」
「夜で??」
「うん」
「……戦ってたの???」
思わず吹き出してしまった。
怒る気満々だったのに、全部持っていかれた。
確かに無駄遣いかもしれない。
でも、無駄にはなってない。
全部、きれいに食べ切ってる。
それどころか、楽しそうに話してる。
私は肩の力が抜けて、ため息まじりに笑った。
「……まあ、いいか」
夫がほっとした顔をする。
私はレシートをもう一度見ながら、ぼそっと言った。
「この4181円……ちゃんとエネルギーになってるなら、まあ許す」
そして心の中で付け加えた。
(でも次は半分でいい)
その日の朝、私は少しだけ思った。
節約も大事。管理も大事。
でも――
こういう“全力で食べきるバカさ”も、
たまには悪くないかもしれない。
……いや、やっぱり22個は多いけど。
でもまあ。
「戦闘力、高すぎでしょ」
そう言いながら、私はまた笑ってしまった。