正月の食卓は、朝からずっと慌ただしかった。
まだ外が暗いうちに起きて、仕込みを始めた。
義父母と一緒に過ごす正月は、これで三回目。
最初の年に「ちゃんとしてるお嫁さんね」と言われたのが、ずっと引っかかっていた。
だから、今年も手は抜かなかった。
照り焼きチキン、筑前煮、焼き魚、卵焼き、味噌汁、サラダ。
それに唐揚げと、軽くつまめるおかずもいくつか。
そして、ほんの少しだけ唐辛子を入れたキムチ和え。
全部で十品。
気づけば、キッチンに立ちっぱなしで昼を過ぎていた。
「すごいわねぇ」
義母はそう言いながら、椅子に座ったままだった。
でも、それでもよかった。
何も言われないより、ずっといいと思っていたから。
料理を並べ終えて、全員が席につく。
「いただきます」
その瞬間だった。
旦那が、箸を置いた。
そして、私の方を見た。
「なんで辛い料理なんて作るんだよ」
一瞬、時間が止まった気がした。
「……え?」
思わず声が漏れる。
旦那はため息をつきながら言った。
「親が辛いの食べられないの、分かってるだろ?」
その言い方は、責めるというより——決めつけだった。
視線が集まる。
義父も、義母も、何も言わない。
ただ、私を見ている。
胸の奥が、じわっと熱くなる。
でも、ここで言い返したら終わりだと思った。
そうやって、ずっとやってきた。
でも、その日は違った。
違和感の方が先に来た。
——辛い料理?
頭の中で、並べた料理を一つずつ思い出す。
照り焼き。甘い。
煮物。普通。
味噌汁。いつも通り。
唐揚げ。普通。
そして——キムチ。
それだけ。
十品中、一品。
私はゆっくり箸を置いた。
旦那の方を見る。
「……私、何品作ったと思ってる?」
静かに聞く。
「知らねえよ、10くらいだろ」
「うん」
私は頷いた。
「じゃあ、その中で辛いの、いくつあった?」
一瞬、間が空く。
旦那の視線が、料理に落ちる。
そして、小さく言った。
「……1個」
「だよね」
私はそのまま続けた。
「10個中、1個だけ」
沈黙。
誰も何も言わない。
義母の表情が少しだけ固まる。
私はさらに言った。
「それで、“なんで辛い料理なんて作るんだよ”ってなる?」
声は上げていない。
でも、テーブルの空気が変わったのが分かった。
旦那は口を開いたまま、何も言えない。
義父が小さく咳払いをする。
でも、それだけ。
助け舟は出ない。
私は視線を外さずに言った。
「全部食べられないなら分かるよ」
テーブルを軽く見渡す。
「でも、ほとんど普通の味だよね」
誰も否定しない。
できない。
事実だから。
「なのに、最初の一言がそれなんだ」
一拍置く。
「“ありがとう”じゃなくて」
その一言で、完全に空気が止まった。
旦那は何か言おうとした。
でも、言葉は出てこなかった。
私はそれ以上は言わなかった。
箸を持って、静かに食べ始める。
味は、ちゃんとしていた。
しばらくして、義母がぽつりと言った。
「……別に、辛くないわね」
その一言で、勝負は決まった。
旦那はもう、何も言えなかった。
ただ黙って食べている。
謝りもしない。
でも、それで十分だった。
私は最後に味噌汁を飲み干して、箸を置いた。
「ごちそうさまでした」
一番先に席を立つ。
キッチンに向かいながら、小さく息を吐く。
「ちゃんと見てから言えばいいのに」
振り返らない。
もう、合わせる必要はない。
その日から少しだけ、
私は自分の側に立つことにした。
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